精神科病院はこわい?

精神科・心療内科にはじめて受診されるときは、何が気になるでしょうか?

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雰囲気・接遇、先生のなど、いろいろと気になると思います。

特に気になるのは、、、

こわくない?

ということもあるのではないでしょうか?

そんなことはないから、安心して下さい、、、と、言いたいところですが、

実はこわいところだった

一部の医療機関については言わざるをえません。

「恥の文化」の精神障害者隔離政策

日本人が恐れるのは「正義」より「死」より「恥」でした。

終戦前の1944年の日本の様子を見て、アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトは、「菊と刀」という書籍のなかで、日本を「恥の文化」と定義しました。

狭い国土の日本では土地に縛られ多くの人の中で生活をし続けなければいけませんでした。その為、悪評を受けて他人に後ろ指をさされて生きることを畏れました。

常に他人の目を意識し、笑われたくない、恥をかきたくない、普通でいたいことが行動を規定していました。

障害を持つこどもが産まれてくるのは、その家の行いが悪く因縁を背負った象徴として「恥」の対象でした。その為、障害者は隠し隔離される対象だったのです。この根底にある意識が発達障害・精神障害の「受容」を未だに妨げていると思います。

日本精神障害者は国策で隔離することが決められていたのです。1900年公布の精神病者監護法で、自宅監禁が義務付けられていました。

精神病者監護法

病院に収容しきれない精神障害者を私宅内に専用の部屋を設けて、そこに閉じ込め、行政警察)が管理するという、諸外国にも類例をみない極めて異質な制度だった。中程度の資産を持つ家の多くがこの制度を利用した。

引用元:ウィキペディアより

実に1950年までその政策は続けられ、私宅監置に変わる収容場所として精神病院が急増しました。収容施設を急設しないといけないという社会的状況から、設置基準も甘く粗悪な精神病院が急増していきました。

その様な背景から後に世界を震撼させる様な、無権利状態、使役、暴行、リンチ殺人などが行われていったのです。

あまりにも衝撃的で現在では報道される機会も少ない為、ご存知でない方もおられると思います。偏見への配慮という側面もありますが、それもまた実態を隠す政策の延長に感じます。

あえて過去の実態をお伝えした上で、今の精神保健福祉がどの様に変化し、どんな役割を持っているのかを伝え、医療機関受診をおそれないようにして貰いたいと思います。

世界を震撼させた過去の精神科医療機関

日本の精神科病院では1990年代初頭まで、精神科病院内で集団リンチ事件殺人などの凄惨な事件がありました。

1969年1979年1993年 大阪・大和川病院事件

1969年にあったリンチ殺人事件で看護者が逮捕され表沙汰になったのちにも、日常的に暴行、非人間的収容、外部との遮断が行われ、行政もある程度の実態を把握しながら30年近く、厳正な行政処分は下されませんでした。

明るみに事件だけでも3件、しかし、実際には月1回ほどのペースで暴行が原因と考えられる不審死があったそうです。同時に人員を水増ししての不正請求を行い、看護職員の半数は無資格の10代~20代の男性、有資格者は65歳以上が大半で、スタッフの穴埋めを患者にさせていました。

患者の中には患者を束ねるボス患者がいて、時としてスタッフよりも力を持っていたそうです。暴行は看護者だけでなくボス患者の指示でも行われ、1993年の暴行殺人事件はその指示で行われました。

医師は他で働くことが出来ない様な欠落をもっていたり、精神疾患と診断された医師が働いており、院内のプールで全裸で泳ぐような奇行も見せていました。

1969年の事件は、病院から夜間逃亡を図った32歳の患者が、看護職員に見つかり別室に連れ込まれました。看護職員は3人で、殴る蹴るの暴行を続けました。いずれも無資格者で事件の後にショック療法と弁解をしていたそうです。

土下座して許しを請う患者にゲーム感覚で院内を逃げ回らせて制裁を続けます。途中で有資格者の職員に注意をされても暴行はやまず、やがて昏倒して容体が急変し死に至りました。

死亡診断書は院内の医師により「急性心不全」とされ、遺体には新しいゆかたを着せて遺族に立ち会わせずに納棺しました。しかし、のぞき窓から遺体の切り傷や打撲が見えたことから不審が抱かれ、事件のことが患者、職員の間でも噂になって警察署に訴えが相次ぎ事件が明るみに出ました。

この事件で看護職員3名は逮捕され懲役刑となりましたが、病院に対しては行政からの厳正な指導が入りきらずに第2第3の事件を引き起こします。

1979年8月、薬を取りに来る時間になってもある患者が自室の布団の中で寝ていたことで「布団の中で煙草を吸っていただろう!」と決めつけて、看護職員の制裁がはじまりました。

看護職員らは腹部や胸部を蹴るなどの暴行を3人がかりで交代で加え続けました。患者が謝罪を懇願して倒れると、その上に乗りかかり、踏み歩きその日だけで2時間にわたって暴行を加えました。更に、翌日、翌々日も同様な暴行は繰り返され、3日目の朝から容態が急変して死亡をされました。

家族は「急性心不全」との説明に納得されましたが、暴行の様子は複数の入院患者に目撃されており退院後に警察に通報して逮捕をされました。

警察の調べが入ると次々と余罪が明らかになりました。以前にも看護者によるリンチ殺人は行われ、バットによる撲殺なども行われていました。また入院者の20%が入院する理由もなく、病院のサジ加減で収容を、そのサジ加減を無資格の看護職員やボス患者が決めると、うそぶかれていました。

日常生活では30分刻みの軍隊式の規則が強いられ、名前ではなく番号で呼ばれて、通信等の自由を一切奪われて、看護職員、ボス患者の支配下におかれました。

  • 無言で正座して番号で朝・夕の点呼をうける。
  • 日中は横になってはいけない(正午からの1時間半の仮眠のみ可)
  • 外出・外泊禁止
  • 郵便物の発信は禁止
  • 受診時にも郵便受け渡し有無の検問が入る。
  • 面会時には看護者立会い
  • 筆記用具所持禁止

規則を破ると制裁が加えられ看護職員達に「 お前は不定期刑だ。俺らの上申で、どないでもなるんや」 と患者を震え上がらせていました。

事件後の1993年にも事件を起こしています。入院前まで元気だった男性がわずか2週間後に、肺炎という事で医真会八尾他院に転送されました。

転院時に砂漠を何日も歩かされたような極限の脱水症状、全身打撲、肋骨4本の骨折等があり、やがて亡くなられてしまいました。

あまりに不審な状況から八尾病院より警察に通報が行われました。事件に対して大和川病院側は「他患とのトラブルはあったが転院するまでは打撲等の症状はなかった」と無実を訴え、逆に転院先の八尾病院に言いがかりをつけたと逆提訴を行いました。

のちに、この事件はボス患者による私刑であることがわかり、大和川病院側の敗訴となりました。

しかし、そこに至るまで約30年

。多くの患者の訴え、逮捕者を出すような事件、大阪府の立ち入り指導まで入っていながら、十分な行政処分を下せなかったのは、政治家との癒着があり、行政も見て見ぬふりをして来たからでした。

また、入院するきっかけの多くは警察所からの連行でした。対応の難しいトラブル者には警察から大和川病院に連絡がされて強制連行をされていました。本来なら入院に際して精神科医の鑑定が必要なのですが、医師不在であっても強制的に拘束され抵抗が出来なくなる薬を投与されて、拉致監禁に近い収容が行われていました。

精神疾患者、アルコール中毒者、薬物中毒者などの地域の受け皿に乏しかった時代、行政の闇の捨て鉢として補完をする役割も果たしていたのです。中には精神疾患がない方も家族との不和を原因に収容をされていたみたいです。この中には当時はまだ未明だった発達障害者も少なからず含まれていたと思います。

行政処分に至るまでは、当事者の人権を守る会の粘り強い活動があり、数年をかけてその実態に迫っていかれたそうです。当団体には患者からいくつも訴えが相次ぎ、弁護士団とともに真相究明に向けて鋭く切り込まれていきました。

結果として行政も認めざるを得なくなり、1997年に医療機関に対する処分としては最も重い廃院が決定されました。

1984年 栃木・宇都宮病院事件

2人の入院患者が看護職員によって暴行を受け死亡したリンチ殺人事件。しかしそれは氷山の一角に過ぎず、事件をきっかけに繰り返されていた暴行・殺人が次々と発覚しました。

32歳の入院患者が、食事内容に不満をもらしたことが発端となって看護職員と口論になります。看護職員は鉄パイプを持ち出して。背中や腰を20分にわたって殴り続けました。

患者が抵抗をすると制裁は集団暴行にエスカレートして金属製の鉄パイプでかわるがわるに乱打され、患者を四つん這いにさせた上で80キロ近い体重の看護職員が踏み歩くなどの暴行が行われました。

患者仲間が顔面蒼白となったその方をベットに運びこみましたが、嘔吐を繰り返し、心停止状態になりました。当直医の院長は外出をしており看護師が心臓マッサージを繰り返しましたが蘇生はしませんでした。後に院長は「てんかん発作による心臓衰弱」として家族に説明をしました。

また、同年に35歳の入院患者があまりの病院の待遇のひどさを家族に訴えたことをきっかけに暴行に発展しました。
そのやり取りを知った看護職員は、面会後にまずは素手で殴りました。

それでも態度が気に入らないと感じ、暴言を吐きながら殴り続けました。反抗的態度ととらえて興奮した看護職員たちの暴力は更にエスカレートしていきました。

スチール製パイプ椅子で殴り、一斗缶の冷水を頭から浴びせ、正座をさせてモップの柄の部分で渾身の力で打ち付けました。

その暴行が元で静脈瘤が破裂してしまい、翌日に死に到りました。

事件を皮切りに捜査が進められた結果、看護職員による暴行は日常的に行われていたことがわかっていきました。さらに人件費の水増し請求も行われ、実際のスタッフ数の穴埋めを患者に行わせていました。

症状の軽い患者を準職員扱いにして白衣を着せて、配膳、検温、記録だけでなく、レントゲン撮影、脳波、心電図等生体検査、注射や点滴などの看護業務までさせていました。患者が病院職員と同じように働き、タバコ等の報酬を与えて、「患者職員」という患者を管理する役割を与え、職員として働かせていました。

また、院内だけではなく同族経営のスイミングスクールや自動車学校の用務員として無給で雑役係をやらせ、院長自宅の増築・造園も作業療法と称して手伝わせていました。

更に恐ろしいのは、 患者のモルモット化がされていました。生存中に標本番号が付けられ、死後その脳が宇都宮病院の看護助手など無資格者の手によって取り出されて、研究先大学病院に提供をされていたそうです。 1981年~84年までの3年間で約222名もの患者の大量死亡が発覚しました。

全国各地の精神病院でも同様の収容実態があり、 1960年~1980年間に新聞報道された主な事件としても20件近く報道をされました。

※ただし、現在は精神保健福祉法に基づく療養が行われています。

関連記事:精神病院潜入取材

リンク先:発達障害者である専門職のインディペンス

監護・収容から保健・福祉へ

良心的に患者の権利を考えて改革を進めようとされてきた医療機関もありましたが、それ以上に日本の精神医療が収容先として民間病院に依拠をする背景があり、人里離れた郊外に医療不在の監獄があったのです。

恐ろしい時代ですね。表向きでは高度経済成長を続け華々しいバブルで浮かれていた時代に、一方では人権不在の監獄以下の地獄が併存していたのです。しかもその入所経過が警察署からの片道切符。

近所トラブルや喧嘩などで交番に連れていかれたら、裁判も起訴も待たずに精神病院に強制連行されて、無期懲役の強制労働や、人体実験の犠牲になるかもしれなかったんです。発達障害者の衝動性を受け止める土壌も理解しようとする姿勢も、ほんの一昔前の日本にはなかったのです。

同時期に西洋では、精神病院を廃止して地域生活の中で精神障害を受け入れていく政策が進められていました。

それだけにこれらの事件は世界に震撼と衝撃をもたらせ、国際的な批判を受けて是正が促されていきました。

1984年8月、国連人権小委員会において国際法上の問題として非難され、1985年5月に、国際法律家委員会(ICJ)が、日本の精神科医療の実態を調査するために訪れるなど、国際問題へと発展していきました。

その結果、ジュネーブで行われた第38回国連差別防止・少数者保護小委員会において、日本は「精神障害者の人権保護を改善する」ことを世界に宣言しました。

精神障害者の人権を護る視点で、精神衛生法→精神保健法→精神保健福祉法と改められる中で「精神保健福祉士」という資格も創設されました。

「精神保健福祉士」は患者の権利を護り、精神科医に対しても指示を受けるだけではなく、患者の立場から意見を伝えられる専門職としての役割が期待されています。

国際的な人権を守る潮流を受けて、今では大和川病院内であった「規則」のまったく逆の「権利」が決められています。

精神科病院入院中の権利として

  • 権利侵害をいつでも訴えられる機関がある。
  • 外部との交流、権利を保障する。
  • 病状によって入院の形態がわけられ、病院は定期的に報告義務を持つ。
  • 一番病状の軽い入院形態では患者の意思で退院日を決定できる。
  • 医療的なフォローが必要な入院段階では、最初から退院に向けた計画を立てて多職種で連携して早期退院を促していく。
  • 地域生活を支える福祉サービスを整備。
  • 都道府県の事業として退院促進をサポートする。

今では精神疾患は国の5大疾病と厚生労働省が認めるほどに当たり前の疾患となり、日常生活を続けながら治療を行える医療機関が設立していきました。

あえて、精神科医療のタブーの様な歴史に触れてお伝えしましたが、現在の精神科医療機関では事件にあったような無権利状態はありません。

もしあったとしても、都道府県が監督をしている都道府県で設置されている

「精神医療審査会」

に申し出て、対応を見直すこと、退院の希望や見通しの説明を請求することが出来ます。

詳細は「外出・退院できないときはどうしたらいいの?」をご参照ください。

引用元:日本精神保健福祉士協会

こちらの機関に申し出を行うことで、医療機関に指導が入る形で患者の権利は護られています。

さて、その上で次回はもっと気になることをお伝えします。つまり、どんな病院を選んだらいいのか?という情報です。

全国の精神科病院でどんな医療が行われているかを具体的にわかる強力なツールがあるんです。

ほんとに、カミングスーンでお伝えしますのでおまち下さいね。

続き記事:精神科病院はこわかった、、、時代から30年後

関連記事:ピア精神保健福祉士への道程①

リンク元:発達障害者である専門職のインディペンス

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