ギフテッドは「障害」に過ぎず「天才」であってはいけない社会

最近更新速度が遅くなってきました。

 

その理由はネタを仕入れて自分の言葉にするのに時間がかかるからです。私は新しい知識を仕入れる時、寝ながらアップデートをします。

 

知識をインプットして情報を処理して、普段は潜在下に眠っている知識のデータベースにアクセスするのに、そのようなプロセスが必要なのだと思います。そして起きると自分の中の知識と結合して自分の言葉になっているのです。

 

今回仕入れたネタは「ギフテッド」です。

 

「ギフテッド」について、発達障害当事者の中ではどの程度常識化しているものかはわかりません。ただ、私はこの1週間前までほとんど知りませんでした。精神保健福祉士の資格と相談支援の現場では、その知識を得る機会はありませんでした。

 

インターネット上にはあったのでしょうが、私は最近まで自分が発信するばかりで、書籍以外で知識を仕入れようとしていませんでした。サイト運営の為に国際的な情報を仕入れる様になり、福祉現場と世界的な発達障害理解の広がりの差に驚いています。

 

ただ、このギフテッドという概念を知っていく中で、「才能と障害の差」、その差を補うスキル、自分の中の知識の連結「ニューロダイバシティ体験」についての答えが見つかりました。

 

知識を仕入れて、再構成を行い、言語化する過程は大変な産みの苦しみはあるのですが、過去の知識と連結して創造的にアウトプットできる際には、わくわくとした手ごたえを感じます。

 

私の中で濾され、私独自に生み出される表現は、どれ程の整合性を持っているかは定かではありませんが、一定の真理も含みながら、独自のコンテンツとしてのいろどりを加えていくのです。

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●ギフテッドとは

ギフテッド (gifted)は、贈り物を意味する英語の「ギフト (gift)」 が語源です。

 

産まれつきの才能、神または天から与えられた“資質”です。

 

日本語での概念は、社会的な理解を乞おうとせず語弊を含めて言うと、「天才性」という言葉が近いのではないかと、私は思います。

全米連邦政府の定義では

ギフテッドとは、知性、創造性、芸術性、リーダーシップ性、または特定の学問での偉業を成し遂げる能力のある個人を指す。

またその能力を開花させるために特別なサポートを必要とする個人を指す。

<ギフテッドの6分野>

1知性 2創造性 3芸術性 4リーダーシップ 5特定の学問 6運動能力

引用元:Gifted Education

学術的・知的な突出をギフテッド、芸術的・文化的な突出をタレンテッド(タレント性)といいます。

 

IQ130以上という区分わけもあるそうですが、それだけは根本的なIQを図り切れない知的テストの信憑性も含め不十分で、以下の特徴に該当することがギフテッドの要素となります。

Characteristics of Giftedness Assessment(ギフティッドの子供達が持つ特徴の評価)

 

Advanced Langauge: (豊富な単語量で複雑な文章を作れる) 

Analytical Thinking: (関係性やパターンを識別できる)

Meaning Motivated:(好奇心、突き進む力、理解力、記憶力)

Perspective:(想像がつかない、普通でない視点)

Sense of Humor:(複雑なユーモアを理解する)

Sensitivity:(正義や公平という事へ敏感)

Accelerated Leraning:(年齢より上の知識や情報を理解できる)

引用元:日本ギフテッド協会

興味を持つ対象について、速く、深く、広く、学習し、

 

学びの内容を抽象化(具体化の逆)して構造を把握して、再構築することが可能です。

 

その為に通常にかける時間の、反復学習を要さずに、技能、スキルを習熟します。

 

知的分野では、独自の見解として、洞察、論証し、独自の問題意識から知的好奇心を探求します。

 

運動分野では、独自の練習方法の考案と、高い遂行能力を発揮します。

 

芸術分野では、インスパイアされた作品の要素を再構築して独自の表現にします。

 

また、感覚過敏に類似するような、過度激動性(OE)を持ちます。

●OE(Overexcitabilities、過度激動)とは

情報を入力する能力の高さは、激しい刺激となって著しい成長を促します。しかし、同時に激しい精神的疲労も伴わせています。

 

OEには、精神運動性、知覚性、想像性、知性、感情性があり、知覚性OEは感覚過敏に似た特徴を表します。

 

創造性、知性、感受性OEが強いと人生の浮き沈みを激烈に味わい、幸せを深く噛み締められると共に、不幸の嘆きも劇的に衝撃を持って受け止め、苛烈な人生観を持ちます。

 

知覚の鋭さから感情の起伏が激しくでるヒステリック

 

些細な知覚が気になることでの神経質

 

浮き沈みの双極(そううつ)

 

などから、対人関係・社会生活の支障が起こる場合があります。

リンク先:発達障害者である専門職のインディペンデンス

関連記事:忍者の才が足かせになる現代。聴覚過敏用イヤホンは何がいい?

●ギフテッドとアスペルガー症候群の違い

私は当サイトでの自閉症関連の表現を、米国診断基準DSN-5に習い、自閉症群すべてを含む「ASD(自閉症スペクトラム症)」と表現をしてきました。

 

しかし、ギフテッドとの違いは、あえて「アスペルガー症候群」と中から対比します。

 

その定義は自閉症群の中でもIQ値が高く「知的優位性を持つ」一群を表す為です。

「アスペルガー症候群」とギフテッド者の特性は非常に共通しており、「アスペルガー症候群」の67%がギフテッドではないかという指標もあります。

 

しかし、そもそも日本ではギフテッドと診断出来る機関も乏しく、明確な指標はありませんでした。

 

診断分類の特性通りになぞらえれば、違いはあるのですが、実際に「アスペルガー症候群」の診断を受けている方でも100%診断分類に当てはまるわけではなく、数割はADHD特性等が含まれて、「アスペルガー症候群」の診断分類と真逆の要素が含まれていたりします。

 

実際に個人レベルでみると千差万別の特徴がある中で、発達障害という大まかなくくりを題材に分類分けをすることは「六星占術」や「動物占い」の定義をこねくり回しているのと似た感覚を受けます。

 

ギフテッドについて、ウィキペディアでの説明では

コミュニケーション能力に優れ、道徳心、責任感、高い洞察力、共感的理解、問題解決能力などの高いリーダーシップ力を潜在能力の特徴

引用元:ウィキペディア

と、万能の様に説明がありますが、ギフテッドの発達にも得て不得ての偏りはあります。これをギフテッドの特徴とした場合、アスペルガー症候群との違いが「社会性」という誤解を産むと感じます。

 

私はギフテッドとアスペルガー症候群の定義の違いを調べていて、ある分野の習熟だけの問題ではないかと思いました。

 

前述した「社会情動的スキル」の習熟度合いです。

 

物事の理解を構造化し合理的に解釈をする思考を持って、「社会性」「情動性」を学ぶ努力を行い、処世術として身に着けることでアスペルガー症候群者はギフテッドとなり得るのではないかと思います。

 

ただしそのスタートに立つには「社会性」「情動性」を学ぶ必要を、「アスペルガー症候群」の方が真摯に感じて、一面で突出した自分の能力から人を見降ろさずに、理解する姿勢で歩み寄ることが前提になります。

●共感する機能を努力で補えるか?

感じることが出来ない共感力を努力で埋められるのか?との疑問もあると思いますが、社会生活を送る分には知識で補うことは可能です。

 

私のごく親しい方は、人の感情と心の動きを、臨床心理的な型式で学び、知識として感情を把握し、適切な反応をしながら高度な接客業をしておられます。ただ、IQの高さから友達はなかなかつくり難いので孤独感はあります。普段は仕事に埋没し、私が唯一の友達と言って下さっています。

 

アメリカなどで進んでいるギフテッド者の教育の中でも、ギフテッド者には「社会性」「情動性」スキルの苦手さがあげられています。

 

その為、ギフテッド教育の中では長所を伸ばしながら、「社会性」「情動性」を学ぶ働きかけが重視されいるのです。

 

知的な優位性が「障害」ではなく「才能」になる為には、他者の感情を理解し、相互に活かしあう形まで弱点を補う努力が必要なのです。

 

ただ、「社会性」「情動性」を身に着けたギフテッド者の多くは、日本社会の中で生きるコトワリを学び「爪を隠し」足並みを合わせて、ギフテッドであることを隠して生きているのだと思います。

●日本では、忌み嫌われる知的な「天才性」

ギフテッドの日本語での概念については、諸説ありますが、私は「天才性」という言葉がやはり近いのではないかと思います。

 

日本での「天才性」という言葉の印象は、スポーツや芸術の世界では抵抗なくフランクに使われるのに、知能、学問レベルで使うと「鼻につく」「尊大」「嫌味」という印象に変わります。

 

私の中にも根付く、この知的な「天才性」へ差別意識は

 

偏差値・選別教育のせいなのか、平均性を望む日本文化のせいなのか、日本文化の根底にミックスされている儒教精神のせいなのかは、自然と身についている感覚なのでわかりません。

 

ただ、この知的・学問的「天才性」への差別意識が、日本のギフテッド者を自ら潜在化させて、長所として教育に根付かない素因になると思います。

 

日本のギフテッド者が自らの「天才性」を名乗れるのは、発達「障害」という謙遜の傘を着る必要があるのかもしれません。

●隣人の天才性はむかつく

現に私が、ギフテッドという概念を知って、自分自身に該当する要素があると名乗ると、日本人の多くの読み手の人は「うぬぼれ」「反感」を抱くことでしょう。

 

過去に公表している私の2014年時点でのIQ値は118でした。しかし、社会に出て入職後1年目に当時付き合っていたセラピストさんにテストをして貰ったときのIQ値は145でした。

 

リラックスした関係性もあると思いますが、多忙な社会生活の中では知識をアップデートする時間もなく、ルーチンワークに明け暮れる中でIQ値は下がっていくのではないかと思います。

 

最近は文字を読めない人も増えて来ているみたいです。長時間労働は人を会社の檻に捉えて、知力を奪ってしまうものなのでしょう。

 

仕事量を調整してから知識をアップデートしながら国家試験をクリアする過程と、現場経験を経た5年での数値からは変動があると感じます。その変化は5年前から始めているブログの論説を遡れば、内容に表れていると思います。

 

ただ、おそらく他人のこの様な言い訳めいた知的レベルの主張は聞いていて「イラっとして」否定をしたくなることでしょう。

 

そうなんです。過去の偉人の天才性は認められても、現代の隣人の天才性などは聞いていて「むかつく」もので、本人が口にするなどおこがましいことなのです。

 

私がギフテッドかどうかは、サイトの論説等を見てもらい、本当のギフテッドの方々に共感頂けるのであれば証明されることだと思います。価値があれば死後に評価されるのかもしれません。

 

次回は、ギフテッドの多様な発展理由をニューロダイバシティ(神経の多様性)から説明し、西洋哲学史から学んだ抽象概念理解、1800年前にギフテッド教育を試みたギフテッド英雄について語ります。


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