発達障害者である専門職の全記録

発達障害者である専門職の全記録|当事者性・福祉・AI・社会をめぐる記録 発達障害者である専門職の全記録

このカテゴリーは、発達障害者である専門職としての私の記録をまとめる親カテゴリーです。

発達障害の当事者として生きてきた経験。
相談支援専門員として、福祉の現場で積み重ねてきた実践。
障害者雇用、就労支援、家族、暮らし、ニューロダイバーシティ、AI活用、社会への問題提起。

それらは別々のテーマに見えて、私の中ではひとつにつながっています。

当事者として傷ついてきたこと。
支援職として人の生活に関わってきたこと。
社会の制度や働き方に違和感を持ち続けてきたこと。
AIとの対話を通じて、自分の言葉をもう一度整え直していること。

この場所では、そうした歩みを「発達障害者である専門職の全記録」として整理していきます。

単なる体験談でも、制度解説でも、福祉実務のノウハウでもありません。
当事者性と専門職としての視点を重ねながら、支援と社会のあり方を考えるための記録です。

発達障害者である専門職の全記録

発達障害者である専門職の全記録|当事者性・福祉・AI・社会をめぐる記録

発達障害者であり、福祉専門職として生きてきた私の記録をまとめた入口ページです。人生遍歴、発達障害の理解、障害者雇用、AI活用、家族と暮らし、社会への問題提起を通じて、当事者性と専門職の視点から支援と社会のあり方を考えます。
障害者雇用と働き方の再設計

きずなグループ問題は、何が問題だったのか①|不正受給と、障害者雇用の空洞化を考える入口として

きずなグループ問題を、単なる不正受給事件として終わらせてよいのでしょうか。大阪市の指定取消処分を入口に、就労移行支援体制加算、利用者への影響、そして障害者雇用の空洞化という視点から、障害のある人の「働く」が数字や報酬に変わる構造を考えます。
当事者である支援職の遍歴

発達障害である父の遍歴③

子どもとの距離を考えて家を出て暮らす中で、妻と夫婦の方針をすり合わせ、父としての関わりを作り直している現在地。発達障害である父として、自分の未熟さや特性に向き合いながら、私の遍歴と家族の再生の遍歴を記します。
当事者である支援職の遍歴

発達障害である父の遍歴②

子どものために学び、学校と話し合い、環境を整えようとしてきた私。しかし、家庭の中で妻と足並みをそろえられず、結果として子どもに混乱を与えてしまいました。発達障害である父として、努力が独りよがりになっていたことに気づくまでの遍歴です。
当事者である支援職の遍歴

発達障害である父の遍歴①

2019年1月、私は「毒親と呼ばれないように」という記事を書いていました。それは立派な子育て論ではなく、自分の中にある不安と向き合うための記事でした。発達障害である父として、家庭を知らなかった私が、親になることにどう向き合ってきたのかを綴ります。
発達障害の暮らしの工夫と便利ツール

視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚――感覚ごとの困りごとと、少し楽にする工夫

感覚過敏は、音だけではありません。光、におい、味、肌ざわり、身体感覚など、しんどさの出方は人によって違います。感覚ごとの困りごとと、少し楽にする工夫を実体験も交えて整理します。
発達障害の見立てと理解

感覚過敏・感覚鈍麻とは?発達障害の感覚特性を『どろろ』百鬼丸から考える

感覚過敏と感覚鈍麻は、単なるわがままや気にしすぎではありません。『どろろ』の百鬼丸を手がかりに、感覚特性を「世界の受け取り方」の違いとして考えます。
語り部たち

難しい話の語り部となるキャラ紹介

このサイトでは、発達障害の当事者性、相談支援専門員としての実務、AIとの対話を、5人の語り部キャラクターを通して語っていきます。封神演義を下敷きにした文王・武王・呂尚・武吉・楊戩が、それぞれ違う視点から難しい話を読みやすく届けます。
発達障害の見立てと理解

加害者タイプのADHD

ADHDだから加害者になるわけではありません。ただ、衝動性や感情調整の難しさに、育ちや対人関係で身についた誤学習が重なると、周囲を傷つける行動として表れることがあります。本人の困りごとと周囲への影響の両面から考えます。
家族・暮らし・社会を考える

母の手記に残されていた矛盾した愛情――祖母、母、私へ続く流れをどう受け止め直したか

母の死後に見つかった手記には、「大好きだよ」と「僕がいるから、この苦しみから逃れられない」という、あまりにも矛盾した言葉が残されていました。置いて行かれた子どもとしての傷と、母を一人の人として見直そうとする今の自分。その両方を抱えながら、祖母、母、私へと続く流れを見つめ直しました。
家族・暮らし・社会を考える

母の最期の意思を叶える2時間のリミット――医学の進歩のために迎えた誕生日と、通夜の奇跡

やっと親子らしくなれたと思った矢先、母は急変し、ICUに入りました。面会制限の中で託されたのは、相続の意思と最期の願いでした。私は2時間で証人を集め、母の意思を形にするため走りました。
家族・暮らし・社会を考える

39年後に3日だけ親子になれた──母の看取りの中で見えた家出の背景

5歳で家を出た母と、39年後にわずか3日だけ親子関係を取り戻しました。遠方から介護サービスや医療と連携し、看取り、葬儀、納骨まで担う中で見えてきた、家出の背景と家族の連鎖を綴ります。
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