前回、私は、五歳の時に母に自分だけ置いて行かれた体験が、子どもの頃には泣く衝動として、大人になると怒り衝動として続いていたことを書きました。
今回は、その怒り衝動を自分の中で理解し直したことが、どのように支援につながっていったのかを書きたいと思います。
私は相談支援の現場で、深い傷つきや過去の体験を背景に、怒りの衝動を抱えている人たちに何人も出会ってきました。
表面だけを見れば、些細なことで怒る人、対人トラブルを繰り返す人、周囲から「問題のある人」と見られやすい人たちです。
けれど、私には、その反応が単なる性格や未熟さとしては見えませんでした。
なぜなら、自分の中にも、理屈では止めきれない怒りの再燃があったからです。
小さなきっかけで、今起きていることと過去の傷がつながり、一気に感情が跳ね上がる。頭では「そこまで怒ることではない」とわかっていても、感情の方が先に暴れ出してしまう。
その感覚を、自分自身の体験として知っていたからです。

環境の問題と、本人の課題を切り分けて支援したケース
目次
ある方は、就労の場でトラブルを繰り返していました。
周囲から見れば、怒りっぽく、対人関係で問題を起こしやすい人に見えたと思います。
実際、怒りが高まった時には、物を投げたり、備品を蹴ったりしてしまうこともありました。その行為だけを見れば、問題行動だと判断されても仕方がない部分はあったと思います。
ただ、私はその方の話を丁寧に聞く中で、怒りの背景にあるものを無視できませんでした。その方は、自分の仕事には責任を持って取り組み、就労の場で求められている役割を真面目に果たそうとしていました。
その一方で、十分に働かず、文句ばかりを言い、威圧的な態度を取る利用者がおり、その人が仕事を途中で放り出して帰ってしまった後始末を、その方が押しつけられることがありました。
しかも支援者側も、その相手をきちんと諫めず、結果としてその方に丸投げする形になっていました。
その状況で腹が立つのは、むしろ自然なことだと思いました。
私自身も、話を聞きながら「それは腹が立って当然だ」と感じました。
だから私は、まずその怒りを否定せず、怒ってしまう背景ごと受け止めるところから関わりました。
ただ一方で、その怒りが衝動として噴き出し、仕事を失う方向へ向かってしまうのは、あまりにももったいないとも感じました。
これまで責任感を持って働いてきた人が、怒りのコントロールが難しいために働く場を失ってしまう。
それは、その方にとっても不利益ですし、怒りの背景にある苦しさを置き去りにしたまま「問題行動」として処理されることにもつながります。
そこで私は、まず怒りの感情に共感しながら、怒り衝動そのものに向き合う必要があることを一緒に整理していきました。その上で、精神科の主治医とも相談できるよう、通院同行につなげる方向で支援を進めました。
この方の場合、トラブルは一度ではありませんでした。
最初の二回までは、私は事業所との間に入り、仲裁を行いました。
けれど三回目には、こちらへの相談もないまま、事業所側から無期限の謹慎が言い渡されました。
そこまで来た時、私は「この場に無理に留まることが最善ではない」と判断しました。
怒り衝動という本人の課題に向き合うことは必要です。
しかし同時に、事業所側にも問題があり、その方だけを一方的に問題視して終わる環境では改善が難しいとも感じました。
そこで、事業所と折り合いをつける方向は改め、すぐに別の就労先の見学と体験を進めました。
謹慎から二週間で移行手続きを済ませ、新しい環境へつなげました。
新しい事業所には、怒り衝動の課題があることも共有しました。
その一方で、仕事への責任感が強く、真面目に働こうとする人であることもきちんと伝えました。
また、利用者間のトラブルについては、支援員が間に入り、問題がある相手にはきちんと指導してもらうようお願いしました。
その後は、モニタリングを通して微調整を行い、必要に応じて利用調整や早めの介入を重ねていきました。
その結果、その方は新しい就労先で主軸として働けるようになりました。
ここから私が強く感じたのは、
怒り衝動への支援は、本人の内面だけを問題にしても成り立たない
ということです。
本人が自分の衝動と向き合うことは必要です。
けれど、それだけではなく、環境の側にある不適切さや無理も同時に見なければ、本当の意味での支援にはならないと思いました。

トラウマの再燃が、SNSトラブルとして噴き出していたケース
別の方は、また違う形で怒り衝動に苦しんでいました。
その方は幼少期に大きな傷つきを経験し、その後もいじめやパワハラなど、重い体験を重ねてこられました。
怒りの再燃には法則性がなく、突然フラッシュバックのように過去の怒りが立ち上がりSNS上で些細な言動に噛みついてしまうことがありました。
そして、反撃を受けて大きく落ち込む。その繰り返しでした。
とくに大きな出来事では、相手方が弁護士を立て、裁判になったこともありました。
その結果、今後同様のことがあれば高額の請求を受けるという重い判決内容が示されていました。
それでも、怒りが再燃した時には、また相手を攻撃しそうになる。
けれど同時に、「また請求を受けるのではないか」という恐れも抱えている。
その方は、怒りと恐怖の両方に引き裂かれているような状態でした。
この方にとって転機となったのが神田橋処方でした。
神田橋処方とは何か
ここで、神田橋処方について少し説明しておきます。
神田橋処方とは、精神科医の神田橋條治氏が提唱した、四物湯合桂枝加芍薬湯の通称です。臨床の文脈では、フラッシュバックに対する処方として知られています。
ここでいうフラッシュバックは、映像や音が蘇るようなものだけではなく、
怒り、恐怖、動揺、無力感、恥、自責感などの感情そのものが再燃する状態
も含みます。
発達特性がある人では、周囲から見れば些細に見える出来事でも、強い傷として未処理のまま残りやすく、そうした再燃が突然の怒りや混乱の形で表れることがあります。
私がこの処方に意味を感じるのは、怒り衝動を単なる性格や未熟さではなく、
傷つきの再燃として捉える視点につながるからです。
ただし、神田橋処方を万能の方法として語りたいわけではありません。
フラッシュバックや怒り衝動への対応では、まず心理教育や非薬物療法が大切であり、神田橋処方も合う人には有効なことがある一つの選択肢という位置づけです。
神田橋処方が現実的な助けになった
この方は昨年秋頃からその処方を受けるようになり、怒りがこみ上げた時に服用すると、三十分ほどで衝動が引いて落ち着けるようになったとのことでした。
ご本人の実感としては、
「スーッと怒りが引いていく」という表現が近いようでした。
もちろん、これを万能薬のように語るつもりはありません。
けれど、その方にとっては、怒りの再燃が起きた時にそれを少し受け止め直すための、現実的な助けになっていました。
この方の場合も、意味があったのは薬だけではありませんでした。
怒りの再燃が少しおさまることで、まず大きなSNSトラブルを起こしにくくなりました。
この方は創作活動をされている為、怒りの反動で大きな時間を失うことが減ることによって、執筆に集中できるようになり原稿の完成速度が1.5倍も短縮されました。

支援の本質は、怒りを抑え込むことではない
私はこの二つのケースから、怒り衝動への支援は一つの方法で片づくものではないと改めて感じました。
まず必要なのは、怒りをただの性格や短気として片づけず、その背景に何があるのかを見ることです。
傾聴と共感によって、「この人は自分を問題行動としてだけ見ていない」と感じてもらうこと。
必要に応じて通院同行を行い、医療的な支援につなぐこと。
職場や生活環境の中で、どこに無理や再燃のきっかけがあるのかを見て、環境調整を行うこと。
そして、人によっては漢方を含めた薬物的な支援を取り入れること。
支援の本質は、怒りを抑え込むことではなく、怒りの背景にある傷つきや過覚醒を理解し、その人に合った支え方を一緒に探すことなのだと思います。
私自身、自分の怒り衝動への向き合いは今も続いています。
簡単に「乗り越えた」と言えるものではありません。
けれど、自分の中の再燃を理解し直してきたことが、同じように苦しむ人たちの反応を、単なる問題行動ではなく、傷つきの延長として理解する助けになってきました。
傷は消えません。
けれど、理解し直すことはできます。
そして、理解し直された傷は、ときに、自分だけでなく他者を支える力にもなりうるのだと思います。

「怒りってさ、今のことで怒ってるようで、そうじゃない時があるんだよ。」




「昔の傷が、今に重なっておるのだな。」




「そう。
だから自分でも、なんでここまで跳ね上がるのかわからなくなる。」




「ならば、“怒るな”ではなく、“どこから来た怒りか”を見た方がよい。」




「……それがわかれば、少しは付き合い方も変わるか。」




「怒りを消すのではない。
呑まれぬようにするのだ。」


“怒るな”とか“流せ”とか、簡単に言わはる人ほど、たぶん一回も自分の傷が再燃して暴れたことないんやろな。
知らへんとこから、きれいごと言うだけじゃ響かんのとちゃうかな?
※本文中の事例は、個人が特定されないように内容を調整しています。
※神田橋処方を含む漢方は、合う人には助けになることがありますが、万能ではありません。主治医と相談の上で検討が必要です。
※怒り衝動への支援は、傾聴・共感・環境調整・医療的支援などを含めた多面的な関わりが大切です。
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