発達障害である父の遍歴①

毒親を乗り越えようとした男 全投稿
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毒親になりたくなかった。けれど、それだけでは足りなかった。

2019年1月、私は「毒親と呼ばれないように」という記事を書いていました。

それは、誰かに向けて立派な子育て論を語るための記事ではありませんでした。
自分の中にある不安と向き合うための記事でした。

私は、自分の経験と資質だけで子育てをしていたら、きっとよい親にはなれないと思っていました。

下手をすれば、自分が受け取ってきた傷やゆがみを、そのまま子どもに渡してしまう
親として関わっているつもりで、子どもを支配してしまうかもしれない。
良かれと思って動いたことが、子どもにとっては重さや混乱になるかもしれない。

そんな危機感がありました。

だから私は、毒親になりたくありませんでした。

自分が受け取ってきたものを、そのまま子どもに渡したくありませんでした。
親になるなら、同じことを繰り返したくありませんでした。
その思いで、当時の記事を書いていたのだと思います。

ただ、その葛藤は2019年で終わったものではありません。

むしろ今の私は、あの時よりもさらに深く、その問いの前に立っています。

毒親になりたくないと願うこと。
学ぶこと。
支援を借りること。
子どものために必死に動くこと。

それらは、どれも間違いではありませんでした。

けれど、それだけで子どもにとって安心できる親になれるわけではありませんでした。

努力はしました。
必死でした。
自分なりに変わろうとしてきました。

それでも、子どもを傷つけずに済んだとは言えません。

2019年に書いた「毒親と呼ばれないように」という言葉は、今の私にとって、過去のテーマではありません。
むしろ、今になってようやく、その言葉の本当の重さを思い知らされています。

これは、私の正しさを証明するための記事ではありません。
「これだけ努力したのだからわかってほしい」と迫るための記事でもありません。

これは、私自身の遍歴です。

親になることに不安を抱えた人間が、毒親になりたくないと願い、家族の中で何度も失敗し、それでも逃げずに学び直そうとしている、まだ過程の未完の遍歴です。


家庭というものを、私は知らなかった

幼い頃、私の家庭は安心できる場所とは言いにくいものでした。

母は家を出て、祖父母には強い圧があり、父は極端なスパルタから、やがて極端な放任へと変わっていきました。

私が「家庭のぬくもり」というものを初めて実感したのは、18歳を過ぎてからでした。

父が再婚し、義母が私に一人の人間として向き合ってくれたことで、私はようやく、生きる力や学ぶ力を取り戻していきました。

それまでの私は、親というものを、家庭というものを、安心して学ぶ機会が少なかったのだと思います。

家庭とは何か。
親とは何をする人なのか。
夫婦とは、どうやって支え合うものなのか。
父とは、家庭の中でどう立てばいいのか。

その基本的なロールモデルが、私の中にはほとんどありませんでした。

だから、最初に自分が親になった時、私は親として十分ではありませんでした。


20代半ばの初婚と、生活者としての未熟さ

私は20代半ばで初めて結婚しました。

けれど当時の私は、家庭を持つにはあまりに未熟でした。

自分の身の回りのことさえ、十分に自立できていませんでした。

調理、片付け、掃除、洗濯、金銭管理。
生活を整えるための基本的なことが、一人前にできていませんでした。

子どもが生まれるまでは、元妻に生活を支えてもらっていました。
私はその支えの上で、何とか暮らしていたのだと思います。

けれど、子どもが生まれた瞬間から、生活は待ったなしで変わりました。

親になるということは、自分の都合や未熟さを理由に止まってくれません。

赤ちゃんは泣きます。
生活は回さなければいけません。
夫婦は協力しなければいけません。
親は、親としてそこに立たなければいけません。

でも当時の私は、自分のことを律することさえできていませんでした。

そんな私を見る元妻の視線は、少しずつ変わっていきました。

それは、責めるというより、もう対応しきれないものを見るような視線だったのかもしれません。

その違和感を感じながらも、私はどうすればいいのかわかりませんでした。

まともな家庭、穏やかな家庭のロールモデルがない私には、親として、父として、夫として、どう振る舞えばいいのかがわかりませんでした。

やがて私は、家庭の中で取り残されていくようになりました。
そして最終的に、親であることを続けることができなくなりました。

これは、今でも私の中に残っている大きな悔いです。


今度こそ、同じことを繰り返したくなかった

その後、私は再婚しました。

正直に言えば、私は自分のもとに子どもが生まれるとは思っていませんでした。

親になる資格がない自分のところには、子どもは来ないのではないか。
それならそれで仕方がない。

そんなふうに思っていた時期もありました。

けれど、子どもに恵まれました。

その時、私は思いました。

今度こそ、同じことを繰り返したくない。
今度こそ、自分の未熟さや傷を、そのまま子どもに渡したくない。

「毒」ではない親になりたい。

そう思いました。

けれど、今振り返ると、ここにすでに難しさがありました。

「毒親にならない」と思うことと、
本当に子どもにとって安心できる親であり続けることは、同じではありません。

それでも私は、必死でした。


前の家庭でできなかったことを、一つずつやり直すように

再婚後の生活は、私にとって、前の家庭でできなかったことに一つずつ向き合う時間でもありました。

お金を管理すること。
家のことをすること。
旅行を計画すること。
子どもに勉強を教えること。
妻を支えること。
産前産後の時期に、妻によりそい支え続け、家庭の中で踏ん張ること。

それらは、前の家庭では十分にできなかったことばかりでした。

もちろん、すべてができるようになったわけではありません。

再婚後も、調理だけはどうしてもできませんでした。

20年以上前に、一人暮らしを始めた時に、最初に調理は挑戦しました。

しかし、調理の基本も知らない男にとって、当時の情報は不親切でした。                        

当時のレシピは本が主流でしたが、紙面の都合上基本の説明が割愛されていることや                   どのタイミングで調味料を組み立て、混ぜたらいいのか?                      調味料の量も少々とか適量とか書かれると適切の基準ってなんやの!?となりました。 

それでも、続けていれば良かったのですが、丸焦げでカチカチの野菜炒めを最後に、自分は調理が出来ない人間だと思い、諦めてしまいました。                           

だから私は、前の家庭でできなかったことをすべて克服したわけではありません。

むしろ、できるようになったことと、できないまま残ったことの両方を抱えながら、家庭の中に踏みとどまろうとしていました。

 

だから私は、いつも初めて直面することに面食らっていました。

何度も頭を打ちました。
死ぬほど悩みました。
自分の未熟さに何度も突き当たりました。

それでも、今度こそ置いていかれたくありませんでした。

家庭の中で、夫として、父として、生活者として、また取り残されていくことだけは避けたかった。

だから必死についていこうとしました。

うまくできたからではありません。
最初からわかっていたからでもありません。

わからないまま、できないまま、何度も失敗しながら、それでも逃げずに向き合おうとしてきました。

私にとって再婚後の子育ては、ただの「二度目の子育て」ではありませんでした。

それは、前の家庭でできなかったことを、もう一度現実の中で学び直す時間でした。

生活を整えること。
家族を支えること。
子どもの成長に置いていかれないこと。
妻にすべてを背負わせないこと。
親として、父として、そこに居続けること。

その全部が、私にとっては課題でした。

だから私は、必死でした。

毒親になりたくなかった。
同じことを繰り返したくなかった。
今度こそ、家族の中に踏みとどまりたかった。


つづく

けれど、努力することと、安心を与えられることは同じではありませんでした。

私は、親になるために学び直そうとしました。
子どものために、家庭のために、できることを増やそうとしてきました。

けれど、その必死さは、やがて別の形で家庭の中に影を落としていきました。

次の記事では、私が親になるために学び直してきたこと。
そして、子どものために動いているつもりで、いつの間にか妻を置いていっていたことについて書きます。

次回記事:発達障害である父の遍歴②

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    発達障害の診断を受け、人生を振り返り自らの生き方を模索した1年半の葛藤を記しています。当事者、専門職の視点で発達障害について学び、福祉サービスを利用する中で、障害受容と自分らしく生きる道が見えて来ました。
    ライトに書くつもりでも、時折、複数の知識が直結する「ニューロダイバシティ現象」が起こり奇跡の様な記事が生まれています。

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