孤独な三つ子育児の果てに懲役刑。反証のカギはムーミンの国。

2018年1月11日

 

愛知県豊田市で三つ子の母親が、生後11か月の次男を暴行死させてしまう事件が起こりました。

 

孤独な子育ての果て、こどもの泣き続ける声に疲れた母親は、次男を二度、一メートルを超える高さから布団に叩きつけてしまいました。

 

容体が悪化したことで慌てて救急車を呼び、搬送までの9分間、必死に心肺蘇生を繰り返して救急隊の到着を待ちましたが、搬送先の病院で亡くなられてしまいました。

 

不妊治療の末に授かったこども達で、懸命に子育てを行ってこられましたが、母親は「産後うつ」に罹患してしまったようです。

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●悪質、身勝手、過剰反応で懲役刑

その母親に対して、2019年3月15日、名古屋地裁岡崎支部の判決で3年6カ月の懲役刑が言い渡されました。

 

裁判官は「産後うつに罹患しながら3つ子の育児を賢明に行ったことに同情はできる」とした一方で

 

「生命・身体に対する危険性が高く、悪質」

 

泣き声等に対する、苛立ちをぶつけてしまったことには

 

「身勝手で、しかも過剰な反応」として、

 

「執行猶予をつけるほど軽い事案ではない」と、3年6ヶ月の懲役判決が下されました。

この判決について、みなさんはどう思われますか?

 

・もっと大変な育児をしている人はいるのから頑張りが足りなかった。

 

・母親だから何とかできなかったのか?

 

・わが子を殺すなんて人としてありえない。

 

・当然の報いだから、檻の中で反省した方がいい。

などと、思われるでしょうか?

 

育児に対する、「女性的視点」と「男性的視点」によって、見解も変わってくると思います。

私は、この判決は

 

●三つ子の育児負担への無理解さ

 

●サポート力不足という行政責任の転嫁

 

●母親ならこどもの為に何でも耐えて当然という「日本の男性的な子育て観」

を反映した判決ではないかと思います。

 

育児の「女性的視点」に理解がある様に主張をすると、「イクメン」ぶりをアピールする打算に聞こえるかもしれません。

 

しかし、それこそが男性は育児を「出来る時に手伝えばいい」という、残念な感覚で、先進諸国の中では非常に遅れた日本の子育て観なのです。

 

今、SNS上では「女性的視点」「母親の視点」から三つ子の子育ての大変に共感と同情が集まり、一人でのハードワーク(ワンオペレーション)な子育ての過酷さが理解されていない判決内容、に批判が広がっています。

 

私は「男性的」な視点で、この事件を産み出した「社会の仕組み」という点から反証を試みたいと思います。

●相次ぐ「産後うつ」による悲劇

国立成育医療研究センターの統計によると、2014年1月1日から2016年12月31日の2年間で92名の方が、出産1年以内に自殺をされていたことがわかりました。

 

自殺者としてはかなりの割合の自殺者数であり、異常な事態と言えます。

 

「産後うつ」と検索しただけで、複数の事件がヒットして一つの案件に焦点を当てきれない程、痛ましい事件が後を絶ちません。

 

どんなに特別な事情を抱えた方なのか?と想像して、詳細を調べてみると、自死・事件に到る直前までは、普通に愛情を持ち子育てしている親の姿が伺えます。

人口動態統計(死亡・出生・死産)から見る妊娠中・産後の死亡の現状

引用元:国立成育医療研究センター

掘り下げれば過去の精神疾患の既往歴や、ネガティブな体験が出てくることもありますが、性格的な共通項でくくれる程に特別な問題を抱えているわけではありません。

 

「産後うつ」は、ごく普通に結婚をして、どんな幸せな家庭を築いていても、起こりうる身近な事件なのです。

 

ではなぜ、「産後うつ」は起こるのでしょうか?

●美しい母子像の背景にある孤独

本来であれば、出産を通じて命の重みを実感して、こどもの誕生に生への喜びを知り、幸せを感じられる時期であるはずなのに、逆に死に向かってしまうのは何故なのでしょう?

 

小さな赤ちゃんにミルクを上げて優しく見守る母親の姿は幸せの瞬間に感じられます。

 

しかし、実際の子育ては、命への責任を背負い、こどもに合わせた生活サイクル、睡眠とのたたかいで孤独感を感じる日々でもあります。

 

子育てを通じて、自分の幼少期を思い出すこともあり、その頃に抱えたトラウマに直面することもあります。

 

「幸福でない育児期」を経験されていた場合では、現実の状況にはそぐわない「孤独感」を感じて、プレッシャー、責任感がネガティブに捉えられることもあります。

 

しかし、そこで感じる「孤独感」は、周囲の理解とケアで緩和することは出来るのです。

●思考力・判断力を奪う睡眠不足

また、睡眠不足は、視野が狭くなり、思考力が下がり、前向きな未来を見えなくさせてしまいます。

 

豊田市のお母さんは、三人のこどもそれぞれに、三時間おきに八回ミルクを上げるサイクルがあり、睡眠が一時間しかとれていない状況でした。

 

どんな人であっても、物理的な子育ての手助けと、心理的な支えが必要な状況だったと思えます。

 

実は、行政の保健師にSOSのサインは出されていました。しかし、手を差し伸べるべきその時期に、適切な子育て支援は行われず、悲劇が起こってしまいました。

 

この、超繫忙期にサポートを受けて乗り越えられれば、普通に母親として育児を全うしていかれたのではないか?と思います。

 

なぜなら11か月まででも3つ子の子育ては、手抜きや放置では出来ないはずです。

 

そこまで、自力で努力をされて来たけど限界に来てしまい爆発をする一瞬があってしまったのではないでしょうか?

 

その様な過酷な孤軍奮闘を強いられた背景には、日本の抱える子育て支援の課題が表れています。

●ムラ(地域)、イエ(親族)で育てて来た子育てシステムの解体

保育所、保健所、ファミリーサポート事業などの子育て支援は一昔前は、ありませんでした。

 

では、昔の人はどうやって子育てをしていたのでしょうか?

 

こどもを「イエ」そして「ムラ」で育てていたのです。

 

両親、親族と同居をして、子育てを経験し終えた熟練の保育経験者が子育てを「イエ」としてフォローしていました。

 

そして、親族だけではなくこどもは地域で育むものでした。近所のこどもに対しても自分のこどもの様に叱り、育む風土がありました。

 

ただ、この地域ぐるみの互助には外国人が驚くようなゲスな理由も含まれます。

 

日本には「夜這い」という文化があり、夜中に忍び込み、他人の妻と性交するというフリーさがあったのです。

 

その為に、隣近所のこどもが本当に自分のこどもの可能性もあったのです。

 

この性文化の自由さは戦国時代を見聞きしていた宣教師によって、驚きの文化として海外に伝えられています。つまり、現在では厳しく言及される不倫という概念よりも、超越した性文化が一昔前にはあったのです。

 

その様な繋がりもあり、隣近所のこどもも、自分のこどもも分け隔てなく世話を焼き、おせっかいをして、村で育てる本当の互助の精神がありました。

 

それが、近年の都市化によって集落から都市部に集中して、近所の繋がりもバラバラになりました。両親との同居も少なくなり「核家族化」が進みました。

 

人付き合いには楽になった部分がある分、困った時に相談できる相手、助けて貰える相手がなく、その代替えを行政の育児支援が担う必要が出て来たのです。

●ムラ(地域)イエ(親族)の子育て共同に代わる、行政の子育て支援の役割

行政の育児支援は

 

「子育て支援センター」「保健センター」「子育て世代包括支援センター」など、地域によって名称の違いはありますが、市町村が管轄している保健師によって出生からの子育て支援が行われています。

 

出生後すぐに家庭訪問調査がされて、定期的な乳幼児健診で早期の療養、障害の発見の仕組みが出来ています。

 

しかし、出生時から切れ目のない支援は網羅出来ておらず、具体的な支援制度は整っていない現状です。

 

豊田市の事件では、

 

出生後の家庭訪問時に「次男が昼夜を問わず泣くのが大変」

 

乳幼児健診時に「長男と次男の口を塞いだことがある。」

 

行政の保健師に伝えられていました。

 

しかし、その訴えに対する具体的対応はなく、積極的な支援には繋がりませんでした。

●「産後うつ」へのケアは親切・丁寧、しかし、具体的な手助けは、、、!?

私の子育ても「産後うつ」に直面して、保健師のサポートを受けてはじまりました。

 

その時に対応頂いた保健師は非常に丁寧に話を聞いて頂いて、安心感を与えて頂きました。

 

しかし、具体的に不安時に寄り添える形の支援策はありませんでした。

 

こどもの顔を見ながら涙がとまらなくなり、感情を整理出来ない「母の不安」に対して、私の留守中を支える制度はなかったのです。

 

実質の支援は、私が持っていた地域の高齢者の方々とのコネクションから、自分でつくらざるを得ませんでした。

●自力のケアマネジメント

当時医療事務をしていた私は、スタッフからは厳しい視点で見られていましたが、生真面目な接遇と、地域の保健福祉活動を通じて、地域の高齢者の皆様に信頼感を得ていました。

 

その為、私が困っている事情を打ち明けると、無償でボランティアをして下さる地域の世話好きな方々がおられたのです。

 

幸いなことに、かつての日本にあった「ムラ」社会の地域力を、個人の繋がりで持てていたのです。

 

複数の高齢者の方々が力を貸してくれて、私が仕事で家を空けている間、こども達に寄り添い話し相手になってくれました。

 

日替わりで無償のボランティアの日程調整を行い、切れ目のない「産後うつ」のケアマネジメントを自力で行うことで、なんとかクライシス期を乗り越えてこれたのです。

●最善の子育て支援

ただ、保健師の助力は無駄ではなく、おかげで最善の子育て支援に繋がることが出来ました。

 

「公立・認可 保育園」への入所です。

 

先日、卒園を無事に迎えて、つくづく保育園のおかげで0歳~就学前までの手厚い子育て支援を受けて、ここまで育ててこられたと実感しています。

 

しかし、本来は待機児童になる可能性が高かったのです。

 

実は一度は保育所申請に全て落ちてしまい、入所一カ月半前まで、子育て支援の当てがない状況がありました。

 

地域の高齢者の力も、1年借り続けることは出来ないと思い、保健所に相談に行ったところ、待機児童数一覧と、入所の優先順位を聞かされて入所は厳しそうな状況を伝えられました。

 

しかし「パニック障害」の既往や「産後うつ」の状況を切実に伝えて、保育支援の必要性を訴えました。ちなみに、その時点では私の発達障害への明確な自覚はなく、診断も、手帳の取得も行っていませんでした。

 

それでも、その場では保育支援の手立ては約束されず相談を終えましたが、数週間後に希望の保育園に空きが出て補欠で入園することが出来たのです。

 

この入所判定には、産後うつ段階での保健師への相談も無関係ではなかったと感じます。

 

この時、「保育園」に入所出来たことは、私の家庭、子育てにとって重要な生命線と言える大きな支援だったと実感します。

 

その後に、自身の発達障害の自覚をして、子育てを通じて「親としての力不足」に気づかされていったからです。

 

「親」になりきれておらず、自分自身の生き方すら模索の途上だった私には、保育所の力なくしては十分な子育ては行えませんでした。

●未来の芽を育むスペシャリティな社会福祉制度

また、公立保育施設(保育園・幼稚園・認定こども園)のメリットは、「親の支援」的な要素だけではなく、「こどもの可能性」を伸ばすスペシャリティなサービスにもあります。

 

専門的な視点で、発達段階をよく理解し、愛情を持ち、ねらいを持った働きかけは、私達に到底与えられるものではありませんでした。

 

あそびを通じて提供される保育には、こども達に獲得して貰うべき複数の目的があり、その目的は「純粋なこども達の発育」の為にありました。

 

保育施設の価値は、こどもを預けるだけではなく、専門的・能動的に、こども達の社会的スキル、情動的スキルを発達させて、未来に優秀な芽を育む重要な社会福祉事業なのです。

●「待機児童」は全面的な子育て支援から切り離された状況

おかげさまで、私は0歳から6歳までの、非常に大きな育児支援制度に繋がることが出来たのですが、「公立保育施設」に繋がれない家庭は、行政としての育児支援を断片的にしか受けることが出来ません。

 

「待機児童」の問題というのは、母親が働けないだけではなく、「孤独な子育て」を全面的に支える手立てから切り離されてしまう状況なのです。

 

それでも行政は少子化を理由に「公立・認可 保育施設」を潰して、他の子育て支援サービスに置き換えようとする動きがあります。

 

PTA会長時代、私の住む地域にも「公立保育園」統廃合の計画が持ち上がりました。

 

私は立場をこえて、他園の「公立保育園」の保護者達と共闘して、市との懇談で「公立保育園」の価値を訴えました。結果として、計画は撤回されて公立保育園は存続されました。

 

ただ、私だけが強く感じていた「公立保育園の社会的価値」は、他の保護者に共感されず、会長としての立場を孤独なものにさせてしまいました。

余談が過ぎましたが、現状の子育て支援施策の中では、「公立保育施設」で与えられるサービスを、他の子育て支援制度で補いきれるものではありません。

 

民間の保育施設も出てきていますが、「公立・認可の保育のレベル」には程遠いです。

 

これは、私が民間の障害児保育施設で働いていて実感したことです。

 

他の、子育て支援制度としては「ファミリーサポート事業」「子育て支援センター」「育児ママ」などがありますが、時間ごとに一定料金が発生して気軽に利用し続けることは難しくなっています。

 

断片的な利用となると、「一時的な預かり」という要素がつよく、経年的に成長を見守り、働きかけるまでには至りません。

 

「公立の保育施設」は日本の子育て支援には必要な制度であり、「待機児童」は一刻も早く解消すべき課題なのです。

●切れ目のない子育て支援を目指している途上で起こった悲劇

日本の子育て支援制度は、先進的なフィンランドの子育て支援制度をモデルとして、出生時から就学期までのトータルな子育て支援を目指している途上にあります。

 

しかし、現状では「産後うつ」を、「施設ケア」ではなく、自宅生活をしながら細かくフォローしきれる体制は整っていない段階にあります。

 

豊田市の事件の背景には

 

どんな人であっても、サポートなくして三つ子の子育てをするのに難しい要件があり、国としてサポートが出来なかった「社会的問題」があったのです。

 

一記事で書き終えてしまいたかったのですが、一万字を超えてしまったので今回は問題提起で分割をします。

 

次回は、

●「イクメン」という言葉の皮肉

●日本の子育てママに全米が驚いた

●子育て支援の鍵は「ムーミンの国」

という展開から、名古屋地裁の判決へのソーシャルアクションを訴えます。

 

今までよくわかってなかったのですが、アクセスアップのカギになるみたいなので、ブログランキングへのご協力よりしくお願い致します。


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