雪の日に置いて行かれた悲しみは、今も怒り衝動として続いている

トラウマの怒り Review(レビュー)
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私は1980年代という時代に、長らく嫌悪感を抱いていました。

流行していたファッションも、アイドルも、文化も、あの頃の空気そのものも、ずっと受け入れられませんでした。
単に「昔っぽいものが苦手」という程度ではありませんでした。三十代を過ぎるまで、どうしても馴染めないものとして、体のどこかに引っかかり続けていました。

それは、あの時代に起きた出来事が、私の中で一つの塊になって残っていたからなのだと思います。

1980年代、大阪では珍しく雪が深く積もった日がありました。
大粒の雪が降り、地面には靴がすっぽり埋まるほどの雪が積もっていた日です。
当時の私は五歳で、大阪南部の分譲団地に住み、幼稚園に通っていました。父、母、祖父母、姉、妹と一緒に暮らしていました。

置いて行かれたこども

その頃、家の中にはすでに不穏な空気がありました。
父と母は険悪で、祖父母との同居が始まってから、母は日々強く抑えつけられ、罵られていました。
幼い私に事情がわかるはずもありません。ただ、大人たちのあいだに、子どもには触れさせてはいけない何かがあることだけは感じていました。

ある時期から、母と姉妹が、私に隠れて何かを相談することが増えました。

どこへ行くか。
いつにするか。
どうやって行くか。

そんな断片だけが、私の頭の上を通り過ぎていきました。

「僕も行きたい」

「身体をばらばらにして首だけ持っていこうか?」

「そしたらどうやって戻すの?」

「死んだら戻せないから捨てるだけ。」

当時の私は、それがどんな残酷な言葉か理解できませんでした。
ただ、血の気が引くような恐ろしさだけは残りました。

そして、雪の日に、その計画は実行されました。

部屋には大きな風呂敷包みが置かれていました。
何が入っているのか、なぜそれを持っていくのか、聞いても誰も教えてくれませんでした。
母も姉妹も、ただそれを持って同じ団地の友達の家に遊びに行くのだと言うだけでした。

私は、これから起きることの深刻さを理解できないまま、雪が珍しくて、どこか浮かれていたのだと思います。
けれど、母も姉も妹も、私とはまるで違う顔をしていました。
私ははしゃいでいて、向こうは神妙でした。
そのずれだけが、今でも妙に生々しく残っています。不穏な風呂敷

道中でも、私は大きな風呂敷のことを何度も尋ねました。
しかし、誰も答えませんでした。
しつこく聞くうちに、ついには激しく叱責されました。

私ははしゃぎながらも、何かがおかしいことだけはうすうす感じていたのだと思います。
けれど、それまでの五年の人生で、人が持つ残酷さも、受け止めきれない悲しみも、まだ想像できるはずがありませんでした。

友達の家に着くと、風呂敷包みは一室に置かれ、私は別の部屋で遊ぶように言われました。
母たちは深刻な顔で風呂敷を囲み、友達の母と話し続けていました。

私は何かが起きると思っていたので、何度もその部屋を覗きに行きました。
みんながそこにいることを確認して安心していました。
母の姿を見ては安心し、また遊びに戻る。その繰り返しのなかで、いつしか遊びに夢中になり、風呂敷のことも薄れていきました。

そして、何度目かにその部屋を覗いた時、そこには誰もいませんでした。

風呂敷も。
母も。
姉も。
妹も。

その時、私は、兄妹のうちで
自分だけを置いて行かれた
のだと知りました。

この出来事は、私の中に、ただの悲しい思い出として残ったのではありませんでした。
もっと深いところに、人格が切り替わるように見えるほどの悲しみとして沈殿しました。
普段は表に出ていないのに、何かの拍子に一気に込み上げてくる。
五歳の子どもだった私にとって、それは説明できる感情ではなく、ただ泣くしかない衝動でした。

子どもの頃、その傷は主に
泣く衝動
として現れていました。
自分でも理由を説明できないのに、どうしようもなく泣きたくなる。
いったん崩れると、自分で止められない。
あの頃の私は、それが何に触れて起きているのか知りませんでした。
ただ、自分の中に、急にすべてが崩れるような悲しみがあることだけは知っていました。さびしいこども

けれど、大人になると、それは同じ形では現れませんでした。

悲しみは消えたのではなく、
怒りの衝動
に姿を変えて現れるようになりました。

きっかけは、後から思えば本当に些細なことです。
本来なら、そこまで大きく反応するはずのない一言、態度、行き違いです。
けれど、そうした小さな出来事が、過去の体験とどこかでつながった瞬間に、感情が一気に跳ね上がり、
爆発的な怒りとして噴き出してしまう
ことがありました。

頭では「そこまで怒ることではない」とわかっています。
冷静に考えれば、相手がそこまで悪いわけではないこともわかります。
それでも、感情の方が先に暴れ出してしまうのです。

しかも苦しいのは、その怒りが、嫌いな相手やどうでもいい相手にだけ向かうわけではないことでした。
むしろ、
愛する相手にまで及んでしまう
ことがあるのです。
本当は大切にしたい相手、本当は傷つけたくない相手に対しても、過去の傷が再燃した時には、怒り衝動という形で表れてしまうことがあるのです。

そこに、この問題の最も苦しい部分があると思っています。

私は長い間、この反応を、単に自分の未熟さや性格の問題として見てきました。
怒りっぽい自分。
感情を制御できない自分。
大切な相手にまでぶつけてしまう自分。
そういう見方です。

けれど今は、それだけでは説明しきれないと思っています。

五歳の時に、自分だけが置いて行かれたという体験。
その時に生まれた深い悲しみは、子どもの頃には涙としてあふれ、大人になると怒り衝動として表れるようになったのではないか。
つまり、今の怒りの一部は、現在の出来事そのものだけではなく、
過去の置いて行かれた体験が、今の出来事をきっかけに再燃したもの
でもあるのではないか。
そのように考えるようになりました。

そう理解した時、過去の出来事は単なる昔話ではなくなりました。
それは、今の自分の感情の動きや、人との関係の難しさを理解するための鍵になりました。

私はこのことを、美談として語りたいわけではありません。
つらい体験があったからこそ成長できた、などと簡単にまとめたいわけでもありません。
実際には、その体験は今もなお、私の中で悲しみや怒りとして動き続けています。
自分自身の怒り衝動への向き合いは、今もなお続いています。

それでも、少なくとも一つ言えるのは、
自分の中で何が起きていたのかを理解し直すことには意味がある
ということです。
傷そのものがなくなるわけではありません。
けれど、理解できなかったものに少しずつ輪郭を与えていくことは、自分を見失わないための手がかりになります。

そして今は、この理解が、自分のためだけで終わるものではなかったと感じています。
この体験は、
同じように深い傷つきから悲しみや怒りの衝動を抱えている人たちを理解し、支援していくための土台
となっていきました。

次回は、自身の怒り衝動を理解した立場だからこそできた支援と、その対処法についてお伝えします。

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