私が兼ねてより期待していたテーマです。
発達特性(推定)を持つ歴史上の偉人について、歴史学者の「鳥居の上の鳥」さんに執筆依頼をしたところ、驚きの人物に焦点を当てて頂けました。
世界仏教の開祖、ブッダことゴータマ・シッダールタについてです。

はじめに、以下の記事を読むにあたって注意点がいくつかあります。
●本記事において「ブッダ」とは信仰対象の仏ではなく歴史上我々と同じように生きた人間「ゴータマ・シッダールタ」を指します。
●本記事ではわかりやすさを優先し、「ブッダ」の呼称を用いますが、これは特定の宗教に忖度するためではありません。
●筆者は臨床心理学、精神医学の専門家ではありません。当事者としての個人的見解を述べるに過ぎません。
以上の注意事項をご承知の上で読んでいただくようお願い申し上げます。
インドの釈迦牟尼族の王子としての実像
ゴータマ・シッダールタと聞いてピンと来なくても「お釈迦様」や「ブッダ」と聞けば、なんとなく知っている、という人は多いのではないでしょうか。
ブッダは手塚治虫の漫画『ブッダ』や中村光の漫画『聖☆お兄さん』でも有名ですが、世界宗教の一つ、仏教の開祖として一般的には知られています。

ブッダ自身が釈迦として信仰の対象になっているので、実在の人物ではない、と思っている人もおられるかもしれませんが、彼はインドの釈迦牟尼族の王子として生まれた実在の人物なのです。
拡散思考、過集中、の果ての悟りの旅
発達障害の特徴を一言で表現するのはとても難しいことです。しかしそれでは話が進まないので、中でもよく知られている
①一つのことに集中できない(思考・興味の拡散)
②関心があることには過度な集中をみせる(過集中)
をとっかかりに話を進めようと思います。
相反するように思われるかもしれませんが、発達障害にはこれらが同居することがままあります。特定分野に極度に強い人が存在するのはこのためです。
所謂「他の分野ではてんでダメだけど、あの分野だけは天才的だ」というテンプレート像がこれです。
さてブッダですが、彼の場合は逆に夢中になれるものが見つからなかったと考えるべきでしょう。
彼は文武両道、勉強もスポーツもなんでも人以上にこなしてしまったのです。
それが無常観につながったのだと私は思います。
その結果、ブッダは人間は老・病・死によって滅びる儚いものだという考えにとらわれてしまいます。つまり生まれてくることがそもそも苦痛だ、というところまで考えは行き着いてしまいます。

時にブッダ、29歳の時でした。これから彼は修行の旅に出ます。これは彼の生涯にわたる命題となりました。
いかなる困難な修行でもブレないつよみ。
ありとあらゆる修行に励みましたが、ブッダはどれもピンと来ませんでした。
修行は過酷さを増してゆきます。一度思い込んだら他が見えなくなる、これはまさに過度の集中の偏りですね。結果ブッダは苦行に励み、命を落とす寸前まで行き着きます。
苦行の果てにブッダは中道、快楽にも苦行にも偏重せず、ただ執着より離れることが悟りに至る道である、と気が付くのでした。
これは最初同じく苦行に励んだ仲間たちから批難にさらされます。ブッダを苦行を途中でやめた半端ものと思われたのでしょうね。
中にはブッダを貶めてやろうとする輩もありましたが、ブッダは自分の道を外れることはありませんでした。
しかしブッダは自分を曲げることなく、悟りへ至る道を説き続けます。
その後は80歳で亡くなるまで、伝道の日々を送ります。
凡人では成し得ない境地、発達特性の成せる業
いかがだったでしょうか。
発達特性の強みが発揮された(と私が思う)偉人としてブッダを取り上げました。
一つの修行に満足できず、いろいろと試した挙句最後には悟りへと至るという行程。
一度悟りを開けばひたすらその道に邁進する姿を見て、おそらく発達特性の成せる業ではないか?と私は思いました。
ただ書いていていろいろと思うことがありましたが、それは読んでくださった方に考えていただきたいと思います。
ブッダの生涯は仏伝としてまとめられているので興味がある方はいろいろ読んでみるといいと思います。
参考文献: 中村元・田辺祥二・大村次郷(写真)『ブッダの人と思想』日本放送出版協会 2008年
著者紹介:鳥居の上の鳥
・日本史学の修士号・上級宗教文化士・元ソーシャルワーカー
退職後の療養機関を活かし歴史論文を執筆。
指導教授の教えを元に、研究対象の神社仏閣へ足を運ぶことを心掛けメモ帳を持ち歩き、気がついたことを殴り書きにして、あとでまとめを行う。
代表論文テーマは「鎌倉時代に形成された神道について」

「鳥居の上の鳥」さんありがとうございました。
悟りの境地に達していない私には、補足説明が出来る事がありません。
ただ私は、ある発達障害当事者に方から、悟りの世界を垣間見たという話を聞いた事を思い出しました。
日常の風景から、まるで次元の違うような世界に滑り込むような数秒間があったみたいです。
不思議な話ですが、更に他にも数人の当事者が体験をしている事らしいのです。
にわかに、信じ難い話でしたが、何となくわかる気がしました。
私達はこの物質世界としての資本主義社会においては、弊害になる程に複雑な精神を抱えています。
時として繊細すぎ、ある分野には深淵すぎる精神は、社会の中で労働力を基準として考えられると障害となってしまう事もあります。
しかし、その複雑かつ、過集中と放出を繰り返す精神性は、通常では到達をし得ない領域に入りこめる要素を持っているのではないでしょうか?

悟りという境地がわかっているわけではありませんが、私達の特性を持ち、突き抜ける努力を重ねると、悟りという境地にも到達できるのかもしれませんね。

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