こんにちは。Salou(サルー)です。
私の発達障害である学習障害がわかったのは、一人目の子供を産んだすぐあとで、27歳の時です。
それまでは、生きづらさに二次障害の精神疾患を患うほどで、自分はどうしてこんなに頭が悪いのだろう、うまく行かないのだろうともやもやしていました。
でも今は、胸を張って生きることが出来ています。
発達障害がある人が出産する事
発達障害を持っている人が出産をすることを良く思っていない人もいます。
一人目が発達障害で、第二子を望んではいけないのだと思っているお母さまもいるとよく目にします。
そのあたりの考え方は個人で違い、どう選択するかはその人自身がよく考えてすることです。
私もしっかりと考えて、その結果が今となっています。
私は結婚当初、働くことにさえうまくいかずストレスを多く抱え、どん底に落ちていました。
そこから出産の準備が出来るまでに約7年もの時間を費やしています。
旦那さんも、私の弱い部分や苦手な部分が多くありうまくやっていけないことをよく理解している人でした。
彼はいずれは子供は欲しいと思っている事と、私のような不器用さが遺伝してしまうかもしれないことも理解していて。
さらに、私の身内に発達障害の人間が数人いたので、それもあって私自身も発達障害の遺伝の可能性も視野に入れていました。
私に家族が持てるだろうか。今こんな状態なのに…。
そう思った時、私は強く「精神疾患を治して母親になりたい」と思ったのです。
私が家庭環境に恵まれなかった分、私はこの先に暖かい家庭を作りたい、と。
私は次に、ではどのような人間なら障害を持つかもしれない子供たちの母親になれるだろうかと考えました。
発達障害を持った私が母親になる為に過ごした約7年間
二次障害のある人はまずここからのスタートでしょう。
薬の量を増やさなくてはならないほど無理のある生活をしない。
これは鬱症状等の理解から始まります。自分自身を否定するような考え方をしてしまいがちな鬱状態や弱点のおおい発達障害です。
これを正すのは自分の力だけでは難しいですが、考え方の癖を変えることで最悪な状態から脱却することが出来るのではないかと考えました。
私の場合は買い物でお金を払う事や物が探せない事など。役所や銀行などもよくわからないし、仕事では苦手な事に向き合う事も多いですよね。
職種によるのですが出来る範囲で自分の環境整理を思い切ってしていきました。
金銭管理や制度利用は専門職の方に相談してみるの一つです。
少しずつ、今日は洗いものをしよう、と小さな小さな目標を立てながら過ごしていきました。調子が悪い時は遠慮なくやらないという選択もしてOKというルール。
カンタンに言えば、人の意見など気にしないで、疲れたらとことん休む、好きなことをする、無理をしない。
ここからは理想の母親としての第一歩。
よく考えてみてください。
自分の子供が発達障害だった場合。自分のように困った日々を過ごさせたくない。
でもいずれは自立して自分の力で生きていかなければいけません。
ましてや二次障害なんて辛いものを抱えて欲しくない。
誰だって思う事だと思いますが、では発達障害を持っている自分自身がどんな人間だったら、社会に傷つけられずに自然体で生きて行けるのか?を。
まず、自分で助けて欲しい、わからないと周囲の人に発信することが出来るか?というと、それはNOでした。
知らず知らずのうちに一人で何とかしようと頑張りすぎたり諦めたりしていました。
それでは明るい未来は無い!そう思った私は、恥でもなんでも人に聞いたりお願いできる勇気を持てるように少しずつ取り組みました。
この先、どうしてもやらなければならないことを想像しながら、自分に足らない部分や身に着けた方がいい事を考えて、自分なりの方法で対策を考えて実践を繰り返しました。
そして、私はヘルプカードを携帯しました。
母親になる為に過ごした約7年間の結果
その結果、今、子供達は幼稚園に楽しく通い、子供の為にやっていたことが、自分に返ってきているようで、とても楽しく毎日を過ごせるようになっています。
ヘルプカードを提示しての周囲の変化については、また次回にお伝えしたいと思います。
ほんの少しでも誰かの未来の道しるべとなりますように。
著者紹介: salou ( サルー )
二児の発達障害を持った子供を育てる、自身も発達障害ASD, LDを持つ主婦。
YouTubeアニソンカバー専門チャンネルOTOGUMOでSinger YUUIを支える裏方。
低音から高音までの広い音域と、時にクリーンで、時にハスキーでかっこいい歌声と多才さと魅力を見せつけ、なお前進し続ける彼女を応援しています。
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