アタマを良くするのに必要なのは、計算、暗記よりも愛情・・・!?

さて、今回は要するに頭をよくするにはどうしたらいいか?

 

というお話です。

 

これまで、ASD者の優位性などを取り上げてきました。しかし、発達障害者の方が優れているという訳ではありません。

 

考え方、感じ方、捉え方が違うだけで、それより重要なのは「学び続ける」こと、目標をもって学び行動し続ける力を持っている方が知的発展を遂げていくのです。

 

今回のお話は、ベネッセチャイルドリサーチネットの榊原 洋一先生の話を元に、「学びに向かう力」=社会情動的スキル(social-emotional skills)を語りたいと思います。

引用元:ベネッセ チャイルド・リサーチ・ネット

●将来の学力に関わる「学びに向かう力=社会情動的スキル」

「学びに向かう力=社会情動的スキル」とは、問題を解く能力ではなく、効果的な学習に変えて、社会性やコミュニケーション力に繋がる力なのです。

 

これまで学校教育等では、「認知的スキル」をあげる訓練が重視されてきました。

 

「認知的スキル」とは 

識字、書字、計算、暗記、読解、IQ値

など、ペーパーテストを解くために使われるような力です。

  しかし、それだけでは本当の活きた学業能力向上にはつながらず、社会で生きていく力にはなりにくいことがわかってきたのです。

 

「認知的スキル」を社会で生きる学びに変える力が「社会情動的スキル」です。

 

「社会情動的スキル」とは  

学習面では、

自主的に机に座る、座り続ける忍耐力、目標をもって学ぶ、あきらめず学ぶ、、、力

社会面では、

意欲的に人と関わる、共感する、感情を統制する、ポジティブに考える、自信をもつ、挑戦する、、、力 

 などの要素になります。

 

発達障害者の苦手分野をピックアップしたような項目です。

 

「社会情動的スキル」の基礎としては「我慢をする力」があります。

 

その「我慢をする力」と「学力」の因果関係を証明する実験として、アメリカの心理学者ウォルター・ミシェル氏の研究で、マシュマロテストというものが行われました。

●我慢する力が偏差値をあげる!?

1960年代から1970年代に、4歳~6歳程までのこどもを対象に、「我慢できる」力を試したテストです。

 

こどもたちの前に大好きなお菓子を目の前に置いて

 

「食べたかったら食べてもいいけど、一定時間我慢できればもう一つあげる」

 

と告げて、大人が居室を離れて行動を観察したものです。

 

そして、お菓子を食べるのを「我慢できなかった」グループ「我慢できる」グループの、成人後の社会適応度、学力を統計しました。この実験の中には、ウォルター・ミシェル氏自身の娘も含まれており、詳細な成長経過も追えたそうです。

 

その結果、「我慢できる」グループの方が社会的に成功をしていて、大学進学に必要な学力差が大きく開いていた結果が出たのです。

 

「我慢できる」力は大人になっても持続しており、その後の社会性、コミュニケーション力、挑戦する力、学び続ける力などの「社会情動的スキル」の元となっている可能性が示されました。

 

そのため、幼児期においては「学力」「認知能力」をあげるだけではなく、家庭、地域でのスキンシップ等を通して、「社会情動的スキル」を身に着けることが将来的な学力に関連すると注目をされています。

 

ニュージーランドでは、教育指針に「思いやりをもちながら子供と関わり、意図や目的を備えた教育」の重要性が強調され、「社会情動的スキル」を伸ばす幼児教育が実践されています。

 

ちなみに、2018年にマシュマロテストの再検査が行われ、こども達の家庭の年収も絡めてテストが行われたそうです。その結果、裕福な家庭のこども達が「我慢できる」グループに多く学力も高い、ということで「マシュマロテストの結果は限定的」と言われたそうです。

 

しかし、私は「たまごが先か?にわとりが先か?」みたいな話で、貧困が「社会情動的スキル」を育てられなかったと考えられるのではないかと思います。

●ADHD者の苦手項目

「我慢できる」力のことを「報酬遅延能力」といって、ADHD者には苦手な特徴とあげられます。

 

「報酬遅延能力」とは、頑張ればあとで良いことがあるとイメージをして努力をする力です。

 

発達障害者は、前頭葉の機能不全によって、目の前の衝動性が抑えられずに、じっとしていられない点があると言われています。

 

ただ、その要素も年齢とともに改善されていきます。

 

そして、社会情動的スキルを、ある程度大人になってから得ることも出来るのです。

 

実は私も、かつては座っていられない子でした。

 

それどころか、17歳まで本を一冊読み上げる集中力が持てませんでした。偏差値は50もなく、勉強に継続的に取り組むことが出来ませんでした。

●偏差値50以下から、大学に入ってから得た社会情動的スキル

今では、難解な論文も数分で読めて、何十時間でも座って学習や仕事が出来る様になりました。

 

その転機は、父の再婚、私にとっては母を得る環境変化でした。

 

かといって義母は特別な教育スキルを持っていたわけでも、勉強をしつけてくれたのでもありません。

 

与えてくれたのは、私の存在を認め、生きる力です。

 

最初に義母と会った時、私は多感な年頃で激しく反発をしていました。

 

そんな私を義母は受け止め、理解しようと努め、自信を与えてくれました。

 

一人の人間としての向き合い、成長を望み、育む関わりを受けて、これからを生きていく力を与えられたのです。

●心の交流の持てなかった就学期

 私の実母は就学前に兄妹で私だけを置いて家を出ました。衣食住は祖父母に賄って貰いましたが、祖母は母の悪口ばかりを口にして、私たちの養育にも良い印象を持っていない点もありました。

 

父は社会的には立派で患者に慕われるいい医師ですが、多忙さから子供に構いきれるばかりではありませんでした。

 

低学年時期までは鬼のようなスパルタ教育でしたが、「地域の命と健康を守る使命」は父を放っておかずに、ある時から急に放任になりました。

 

12歳~17歳頃の就学期の私は、家庭で心情を打ち明けられる相手はおらず、人としてのコミュニケーションに欠けて、自分の進路、生き方に希望も活路も見出せませんでした。

 

居室は荒れて、生活は乱れて、計画的な学習習慣も組み立てられませんでした。

 

義母は非常に家庭的な女性で、居室をいつもきれいにしていました。健康に気遣った料理をして、話好きで、少し天然でした。ただ、人に対して誠実でストレートな物言いだけど裏表のない人でした。

 

気難しくひねくれてしまっていた私を見捨てずに、諦めずに、人として接してくれました。

 

そして、私は机に着けたのです。

 

※幼少期の記録は以下記事。

リンク先:発達障害者である専門職のインディペンデンス

関連記事:発達障害者の長所?ニューロダイバシティ体験・2

●「無知の知」から逃げない力

最初の通読には時間がかかりました。知らない言葉、わからない部分につまづきながらの学習でした。

 

学ぶごとに思い知るのは自らの「無知」さでした。

 

それまでの私は、「無知」を知るのがいやで学ぶことから逃げ、学ぶことを諦めていました。

 

諦めてしまっていたのは、根本的な自己肯定感が持てなかったからです。

 

私は義母から人としての価値を教えられ、可能性のある人間だと自信を与えられました。

 

それが「社会情動的スキル=学び進める力」です。

 

わからないことにぶつかり、それでも理解しようと努め、学びを進めていく力ことが出来る力です。

 

私は、この「社会情動的スキル」の存在を、先週に知って自分の人生から納得しました。 

この「社会情動的スキル」を伸ばすには

人として誠意をもって関わってくれる理解者の存在、

崩れそうな自信にストレングスを与え寄り添う理解者の姿勢、

整理がされた生活環境、

そして、理解者が促してくれる「夢」「目標」 

がポイントになると思います。

 

私がピアな支援者として利用者に相対する視線は、この体験に基づきます。

 

※10代の私の記録は以下記事。

リンク先:発達障害者である専門職のブログ

関連記事:15・16・17と私の人生暗かった~

私が持った「夢」は、父の後の道を行くことでした。

 

思春期の自分からは父は冷たく、自分のことを考えてくれていないと思っていました。

 

しかし、地域では多くの命を守り、人々のために力を尽くしていたことを知りました。そして、私に母と学び直す環境を整えてくれました。

 

ただ「社会情動的スキル」を得て、学ぶスタートに立つのに時間を要し過ぎて、医師を目指す時間はありませんでした。

 

自分の場所から進める道として、医療事務を目指しました。

 

それからの大学生活を遅れた学びを取り戻す時間として、あらゆる難解な本にかじりつき止まっていた時間を動かしました。

 

私は無事に医療事務になりました。入職後も学び続けることを続けて社会福祉士資格を取得しました。

 

※学生時代の私の記録は以下記事。

リンク先:発達障害者である専門職のインディペンデンス

関連記事:発達障害者の虚構と本像

●感動のサクセスストーリーはひとまわりして

さて、「学び進める力」の説明という本稿の趣旨からは余談が過ぎてしまいました。

 

余談ついでに、私のしがないサクセスストーリーの顛末は、現在は皮肉なほどにひっくり返ったものだとお伝えしておきます。

 

しかし、父の後の道を続くことは出来ずに、13年勤めたある日突然、密室でクビを切られて社会に放り出されました。

 

※夢が絶たれた頃の記録以下記事。

リンク先:発達障害者である専門職のインディペンデンス

関連記事:雷鳴の夜からの再生

両親のショックは大きく、それから別の道を進み始めた私と距離が開いていきました。

 

そして、義母は前年に家を出て、私と連絡も取れなくなり、今は住んでいる場所もわからなくなってしまいました。

 

学び続ける力を与えてくれたのは、間違いなく義母のおかげでしたが、あの頃の美しい想い出は、今は残酷に胸を刺す部分もあります。

 

一人原稿に向かい過去を回帰すると、ふと義母に命を吹き返してもらい、夢に向かい学び進めたピュアな日々を思い出して、寂しさにかられます。

 

時間は人の中身と関係を変化させて、人生は陰と陽を繰り返しながら、私たちに学びの機会を与えるものなのです。

 

それでも、義母から受け取った情と「社会情動的スキル」は、私を学びに向かわせながらピアな支援となって人々を活かす「不変の力」に変わっていくのです。


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