- アウトソーシング型障害者雇用と、企業の中に働く土壌を耕すということ
- まず、肯定的な側面はきちんと見る
- 「切り分けられた作業」と「企業雇用の給与」のあいだにある違和感
- 野菜は育つ。では、企業の仕事としては何が育っているのか
- 企業雇用であるなら、企業の一員としての道が必要ではないか
- これは私一人の違和感ではない
- 厚労省資料でも、理念との関係が問われている
- 助成金や支援制度は、本来どこに使われるべきだったのか
- 「選べている」のではなく、企業内の選択肢が育っていない
- 企業側の事情も分かる
- 国の姿勢も問われる
- きずなグループ問題とのつながり
- 問題は「外で働くこと」そのものではない
- では、どこに向かうべきなのか
- 「雇用率を満たす」から「働き方を変える」へ
- まとめ:本人の生活を守ることと、仕組みを問うことは両立する
- 参考資料
アウトソーシング型障害者雇用と、企業の中に働く土壌を耕すということ

きずなグループ問題について書いている流れの中で、どうしても避けて通れないテーマがあります。
それが、農園型・外部委託型の障害者雇用です。
いわゆる「障害者雇用代行ビジネス」と呼ばれるものです。
企業が自社の中に障害のある人の働く場をつくるのではなく、外部の事業者が用意した農園やサテライトオフィスなどで障害のある人が働き、その雇用人数を企業の障害者雇用率に算入する仕組みです。
障害者雇用代行ビジネスとは、企業に雇用されている障害者の働く場所や業務、支援体制を、外部事業者が用意する仕組みです。
農園型やサテライトオフィス型などがあり、厚生労働省も実態把握や研究会資料の中で、この仕組みについて取り上げています。 (厚生労働省)
この話は、とても書きにくいです。
なぜなら、そこで実際に働いている人がいるからです。
本人や家族、とくに保護者にとっては、自分に合った仕事で、毎月一定の給与を得られることには大きな安心感があります。
月12万円前後の収入がある。
福祉的就労より高い収入になる場合がある。
大企業に雇用されているという安心感がある。
家族も「働く場所が見つかった」と受け止められる。
本人も「自分は働いている」と感じられる。
それは、外から簡単に否定してよいものではありません。
農園で育っているのは、野菜だけではありません。
そこで働く人の生活も、誇りも、日々のリズムも、確かにそこにあります。
だからこそ、この問題は雑に切ってはいけないと思います。
「農園型はだめだ」
「代行ビジネスは悪だ」
「そこで働いている人は本当の雇用ではない」
そんな言い方をしてしまえば、いちばん傷つくのは、そこで働いている本人たちです。
しかし、働いている人を否定しないことと、仕組みの問題を見ないことは違います。
むしろ、働いている人の生活を大切に思うからこそ、問わなければならないことがあります。
この仕組みは、本当に障害者雇用を前に進めているのでしょうか。
それとも、企業の中の働き方を変えないまま、雇用率だけを外側で満たす仕組みになっていないでしょうか。
まず、肯定的な側面はきちんと見る
農園型・外部委託型の障害者雇用には、たしかに現実的なメリットがあります。
これまで一般企業で働くことが難しかった人にとって、仕事内容が分かりやすく、環境が整えられていて、支援者が近くにいる職場は安心につながります。
毎日同じ場所に通い、決まった作業をして、一定の給与を得る。家族以外の人と関わり、仕事として社会に参加する。
これは、本人にとって大きな意味を持ちます。
特に、福祉的就労では工賃が低くなりやすい現実があります。その中で、最低賃金に基づいた雇用契約により、まとまった収入を得られることは、生活の見通しを大きく変えます。
「働いても月数千円、数万円」ではなく、「自分の給与」としてまとまったお金が入る。
そのことが本人の自信や家族の安心につながることは、十分に理解できます。
厚生労働省の研究会資料でも、いわゆる障害者雇用ビジネスについて、地域によっては貴重な雇用機会となり、本人や家族から好意的に受け止められている面があることが整理されています。 (厚生労働省)
だから、私はこの記事で、そこで働く人の選択や満足を否定するつもりはありません。
問題は、本人の努力ではありません。
問題は、本人が担っている仕事の価値でもありません。
問題は、企業と制度の側です。
「切り分けられた作業」と「企業雇用の給与」のあいだにある違和感

農園型雇用の現場では、仕事が分かりやすく切り分けられていることがあります。
以前、農園型雇用の現場を見学した際、ビニールハウス内の一区画を数人で担当し、決められた農作業を繰り返す形を見ました。
農具は安全面に配慮されていました。作業も分かりやすく整理されていました。危険が少なく、見通しを持って働けるよう工夫されていました。
私が見学した範囲では、安全面への配慮や作業の分かりやすさは確かにありました。そこ自体を否定したいわけではありません。
ただ同時に、「安全に働けるよう整えられていること」と「仕事として発展していく余地があること」は別だと感じました。
障害のある人が安心して働けるように、作業を分解し、危険を減らし、手順を見える化する。
それは本来、大切な配慮です。
ただ、安全に囲うことは支援である一方、安全に囲ったまま、本人の役割やキャリアが広がらないなら、それは雇用というより、企業名のついた安全な作業空間に近づいてしまいます。
もちろん、すべての人がキャリアアップを目指さなければならないわけではありません。安定して働き続けること自体が、大きな価値になる人もいます。
ただ、企業雇用であるなら、その人が企業の一員として見られているのか。
仕事の広がりや役割の変化があるのか。
給与や処遇や将来の可能性が、企業の中で働く人として位置づけられているのか。
そこは問われるべきです。
単純な作業が悪いのではありません。
問題は、単純な作業を安全に切り分けたあと、そこから先に何があるのかです。
野菜は育つ。では、企業の仕事としては何が育っているのか
農園型雇用では、そこで生産された野菜が、地域の子ども食堂や福祉施設などに提供される例があります。
子ども食堂に食材が届くこと自体は、地域にとってありがたいことです。
私自身、その話を聞いた時、ありがたいと思う一方で、少し首をかしげました。
ありがたい。
でも、首をかしげる。
この二つの感情が同時にありました。
子ども食堂に野菜が届くことに価値がないとは思いません。むしろ、地域で子どもの食を支える現場にとって、食材の提供は本当に助かるものです。
ただ、障害者雇用として考えた時には、別の問いが残ります。
企業雇用として行われている仕事であるなら、その生産物は企業活動の中でどのように位置づけられているのでしょうか。
販売なのか。
社内活用なのか。
地域貢献なのか。
福利厚生なのか。
企業の事業活動とどう結びついているのか。
野菜を提供することが悪いのではありません。
ただ、その仕事が企業の事業活動とどう結びついているのかが曖昧なまま「良い取り組み」として語られると、雇用としての生産性や、企業の仕事としての実体が見えにくくなります。
雇用率達成のために作られた仕事があり、その成果物が地域貢献として語られる時、そこには慎重に見なければならない問いがあります。
その仕事は、企業の中で必要とされている仕事なのか。
企業の事業活動と結びついているのか。
本人たちは、その企業の一員として扱われているのか。
それとも、雇用率達成のために外側に用意された作業が、地域貢献という言葉できれいに包まれているのか。
農園で野菜が育つことは、悪いことではありません。
でも、障害者雇用で本当に育てなければならないのは、野菜だけではないはずです。
企業雇用であるなら、企業の一員としての道が必要ではないか
ここで、私が大切だと思う対比があります。
私が関わってきたある人は、小売業の現場で障害者雇用として長く働き、数年の勤務を経て社員へステップアップしました。
社員になったことで、賞与や休暇などの福利厚生が広がり、仕事もより任されるようになりました。
もちろん、良いことばかりではありません。
任される仕事が増えれば、負荷も増えます。責任が増えれば、体調を崩すこともあります。
実際に、負担が大きくなり、医療機関や支援者との連携が必要になった場面もありました。
それでも、医療機関や支援機関と連携しながら持ち直し、本人はやりがいを持って働き続けています。
企業内で働くということは、しんどさも含めて、役割が広がることです。
負荷が増えることもあります。調整が必要になることもあります。だからこそ、医療や支援機関との連携が必要になります。
しかし、その負荷や調整を丸ごと避けてしまえば、本人が企業の中で成長していく道も閉じてしまいます。
安全な環境は大切です。
無理をさせないことも大切です。
でも、安全であることを理由に、ずっと同じ場所、同じ作業、同じ役割に留め置かれるなら、それは本当に企業雇用と言えるのでしょうか。
企業に雇用されるということは、単に給与を受け取ることだけではありません。
その企業の中で役割を持つこと。
その企業の人事制度や処遇とつながること。
必要な配慮を受けながら、働く人として見られること。
時には負荷がかかり、時には調整し、それでも働き続ける道を一緒に考えてもらえること。
そこまで含めて、企業雇用ではないでしょうか。
これは私一人の違和感ではない
この問題は、私一人が最近になって思いついたものではありません。
公開資料として確認できるものでは、千葉県障害者就業・生活支援センター連絡協議会が、農園型を含む障害者雇用代行ビジネスについてアンケート調査を行い、結果を公表しています。同協議会は、千葉県内の就労移行支援、就労継続支援A型、B型事業所を対象にアンケートを実施したと説明しています。 (千葉県障害者就業・生活支援センター連絡協議会)
障害者就業・生活支援センターは、障害のある人の「働く」と「暮らす」を地域で支える機関です。
就職する前の相談だけでなく、就職後の定着、職場との調整、生活面の課題、家族や支援機関との連携も見ています。
だからこそ、就業支援センターの現場は、雇用率の数字だけでは見えないものを見ています。
働き始めた後に何が起きるのか。
企業との関係は育っているのか。
支援者がいなくなった後も働き続けられるのか。
その仕事は、本人の人生の広がりにつながっているのか。
そうした問いを、日々の支援の中で見ているわけです。
また、こうした問題意識は、ネット上に残っている資料だけに限られません。
私が知る範囲でも、地域の障害者就業・生活支援センターが、早い段階から支援者向けの学習会を行っていた例があります。
すべてが公的な報告書として残っているわけではありませんが、就労支援の現場では、ネットに残らない形で共有されてきた問題意識もあります。
少なくとも私が知る範囲では、農園型・外部委託型の障害者雇用に対する違和感は、最近急に出てきた流行りの批判ではありません。
現場の支援者たちは、かなり早い段階から、こう問い続けてきました。
雇用率は満たされている。
でも、企業の中で一緒に働く環境は広がっているのか。
給与は出ている。
でも、その企業の一員として育っていく道はあるのか。
働いている人の生活を知っているからこそ、簡単に否定できない。
でも、現場を知っているからこそ、見過ごせない。
そういう種類の問題提起です。
厚労省資料でも、理念との関係が問われている
厚生労働省の資料でも、いわゆる障害者雇用ビジネスについては議論されています。
研究会資料では、障害者雇用ビジネスについて、地域によっては貴重な雇用機会となっており、本人や家族から好意的に受け止められる面がある一方で、障害者雇用本来の理念に反する疑いが拭えないという意見が整理されています。 (厚生労働省)
また、厚生労働省は、事業主向けに「障害者が活躍できる職場づくりのための望ましい取組のポイント」として、社内理解の促進、職務の選定・創出、配置、労働時間、職業能力の開発・向上、評価・待遇などを示しています。 (厚生労働省)
つまり厚生労働省の資料上でも、単に「雇用率を満たしているか」だけではなく、障害者雇用本来の理念との関係が問われているのです。
法律に違反していない。
最低賃金も払っている。
雇用契約もある。
本人も通っている。
企業も雇用率を満たしている。
それなら、何が問題なのか。
厚労省資料では、ここで「障害者雇用本来の理念」との関係が問われています。
ただ、理念という言葉だけで終わらせると、少し弱い。
障害者雇用促進制度が本来求めていたのは、企業が外部に席を借りて雇用率を満たすことだったのでしょうか。
私は、そうではないと思います。
本来は、企業の中に、障害のある人が働ける環境を整備していくための制度だったはずです。
障害のある人が、経済社会を構成する労働者の一員として働く。
企業が、その人の能力を正当に評価する。
適した雇用の場を用意する。
適正な雇用管理を行う。
必要に応じて職業能力の開発や向上を支える。
それが、障害者雇用の本筋だったはずです。
外部就労そのものが直ちに悪いわけではありません。
しかし、外部就労が、企業内での環境整備を進めないための便利な迂回路になってしまうなら、それは障害者雇用の理念から大きく外れていきます。
企業の中の仕事は変わらない。
職場環境も変わらない。
社員の理解も広がらない。
仕事の切り出しも進まない。
でも、外部の農園や作業場に雇用率だけは預けられる。
それでは、障害者雇用促進制度が持っていたはずの力が痩せてしまいます。
助成金や支援制度は、本来どこに使われるべきだったのか

ここで、少し立ち止まって考えたいことがあります。

「そもそも助成金とは、何のためにあるのだろうか」

「企業が障害のある人を雇うための土台を整えるためのものです。職場を変え、人を育て、働き方を組み替えるための支援であるはずです」

「だったら、外に畑を借りて人数を満たすだけじゃ、使い道が違ってこねえか?」
本来、雇用関係の助成金や支援制度は、企業が障害のある人を受け入れるための環境整備に使われるべきです。
たとえば、職場内で業務を切り出すための支援。
指導担当者を配置するための支援。
短時間勤務から始める仕組みづくり。
通院や体調変動に合わせた勤務調整。
作業手順の見える化。
休憩スペースの整備。
職場内の理解促進。
支援機関との定期的なケース会議。
雇用後の定着支援。
人事評価やキャリア形成の見直し。
そうしたものにこそ、本来は力を入れるべきだったのだと思います。
もちろん、それは手間がかかります。
企業にとっても面倒です。現場の社員にも負担がかかります。
支援機関も丁寧に関わる必要がありますし、医療や生活支援との連携が必要になることもあります。
でも、その手間こそが、企業の中に障害者雇用の土壌を育てる作業です。
本来育てるべき土壌は、ビニールハウスの中だけではありません。
企業の中にこそ、障害のある人が働ける土壌を耕す必要があったのです。

「農園だけにな!」
障害者雇用で耕すべきだったのは、外部に用意された畑だけではありません。
企業の中の仕事、職場、人事、働き方そのものだったはずです。
ところが、その環境整備を企業任せにし、助成金のメニュー任せにし、現場の努力任せにしたまま、雇用率だけが引き上げられていく。
その結果、最も分かりやすく、最もパッケージ化された外部就労が広がっていったのではないでしょうか。
「場所もあります」
「仕事もあります」
「支援者もいます」
「雇用率も満たせます」
企業にとって、これほど分かりやすい仕組みはありません。
まるで三方よしです。
本人には給与が入る。
企業は雇用率を満たせる。
アウトソーシング企業は事業として成立する。
でも、その三方の外側に、大きな問いが残ります。
企業の中の働き方は、変わったのか?
ここが変わらないままなら、三方よしに見えて、実は「企業の宿題だけが未提出」のまま残っているのかもしれません。
「選べている」のではなく、企業内の選択肢が育っていない
農園型・外部委託型の雇用では、本人が納得して働いていることもあります。
それは大切です。
本人が「ここで働きたい」と思い、通い、給与を得て、生活が安定しているなら、その選択は尊重されるべきです。
ただし、支援者としては、もう一歩だけ慎重に見たいところがあります。
問題は、農園型という選択肢があることではありません。
問題は、企業の中に、多様な障害者雇用の選択肢が十分に育ってこなかったことです。
本来なら、企業ごとに仕事の切り出しが行われ、その企業の実態に応じた働き方が開拓されていく必要がありました。
短時間勤務。
店舗内の補助業務。
事務補助。
清掃。
物流。
品出し。
在宅勤務。
専門性を活かした業務。
体調に合わせた勤務時間。
苦手な業務を外し、得意な部分を担う働き方。
企業ごとに、もっと多様な働く場が作れたはずです。
しかし、それが十分に進まないまま、外部事業者が用意したパッケージに乗れば雇用率を満たせる構造が広がった。
ここに問題があります。
問題は、農園型という選択肢があることではありません。
問題は、企業の中に多様な働き方をつくる努力が進まないまま、外部の箱に雇用率を預ける仕組みが広がっていることです。
しかも、この問題は農園だけに限りません。
コーヒー焙煎、軽作業、PC作業など、外部に用意された仕事の箱に障害者雇用を集約する形は、今後いくらでも形を変えて広がる可能性があります。
だから、「農園かどうか」だけを見ていては足りません。
問うべきは、企業が自社の中に働く場をつくっているのか。
それとも、外部の箱に雇用率を預けているのか。
ここです。
外部に整えられた働く場所があることは、選択肢のひとつとしては意味があります。
しかし、それが企業内の環境整備を進ませない抜け道になるなら、障害者雇用の本筋から外れていきます。
本人は選んでいるように見える。
家族も安心している。
企業も雇用率を満たしている。
でも、企業の中に働く場が育っていないなら、その選択は本当に広がりのある選択なのでしょうか。
外部の箱はいくつかある。
でも、企業内の扉は開いていない。
それでは、選択肢があるようで、実は出口の方向がかなり限られているのではないでしょうか。
企業側の事情も分かる
ただ、企業側を一方的に責めればよいとも思いません。
障害者雇用率は段階的に引き上げられています。
企業は、雇用しなければならない障害者数を増やしていく必要があります。
一方で、社内でどの仕事を切り出すのか。
誰が指導するのか。
どの部署で受け入れるのか。
体調や特性に合わせて、どう業務を調整するのか。
現場の社員にどう理解してもらうのか。
これは簡単ではありません。
「障害者雇用を進めましょう」と言うのは簡単です。
でも、現場で実際に仕事をつくるのは難しい。
特に、大企業ほど、業務は細分化され、効率化され、マニュアル化され、成果やスピードを求められます。
その中で、障害のある人に合った仕事を新たに切り出すには、かなりの覚悟と工夫が必要です。
だから、企業が外部の仕組みに頼りたくなる気持ちは分かります。
雇用率は待ってくれない。
社内の理解はすぐには育たない。
現場には余裕がない。
採用しても定着しないかもしれない。
支援ノウハウもない。
その中で、「場所も仕事も支援も用意します」と言われれば、企業にとっては魅力的に見えます。
これは企業だけの怠慢ではありません。
社会全体が、障害者雇用を企業任せにしながら、企業の中で働き方を変える支援を十分に整えてこなかった結果でもあります。
企業が外部の仕組みに頼りたくなる事情は分かります。
でも、それが、企業の中の働き方を変えない理由になっていいのでしょうか?
企業の中の働き方を変えないまま外部化してよいのか。
ここは、やはり問わなければならないと思います。
国の姿勢も問われる
この問題は、企業だけの問題ではありません。
国の姿勢も問われます。
障害者雇用率を引き上げるなら、それと同時に、企業内で仕事を切り出し、短時間雇用を広げ、職場環境を整備するための支援を、国家プロジェクトとして本気で進める必要がありました。
企業に「雇用率を達成してください」と求めるだけでは足りません。
企業が障害のある人を受け入れるために、どの仕事をどう分解するのか。
どのように職場内で役割をつくるのか。
短時間勤務や柔軟な勤務をどう評価するのか。
体調に波がある人をどう雇用管理するのか。
支援機関や医療機関とどう連携するのか。
雇用した後の定着やキャリア形成をどう支えるのか。
そこまで踏み込んだ支援が必要だったはずです。
それを、企業の努力や助成金のメニューだけに任せてきた結果、最も分かりやすく、最も効率的に雇用率を満たせる外部就労パッケージが広がっていったのではないでしょうか。
もちろん、外部就労パッケージを利用する企業がすべて悪いわけではありません。
むしろ、企業側も制度の中で求められる雇用率に対応しようとした結果、その仕組みを選んだ面があります。
だからこそ、国はもっと本気で、企業の中に障害者雇用を根づかせる政策を打つべきだったのだと思います。
障害者雇用は、雇用率という数字だけでは育ちません。
企業の中に、働ける土壌を耕す政策が必要だったのです。
きずなグループ問題とのつながり
ここで、きずなグループ問題とのつながりが見えてきます。
きずなグループの問題では、A型事業所やグループホームをめぐって、福祉制度や報酬のあり方が大きく問われました。
就労したことが報酬になる。
利用者数や加算が事業の収益に直結する。
支援の中身よりも、制度上の数字が先に走る。
その結果、本人の生活や支援の質が置き去りになる。
この構造は、農園型・外部委託型の障害者雇用にも通じるものがあります。
もちろん、同じ問題だと言っているわけではありません。
きずなグループ問題と農園型雇用は、制度も事業形態も違います。
ただ、共通している問いがあります。
数字が整っただけで、本人の人生は本当に豊かになっているのか。
A型で就労者数が増えた。
雇用率が達成された。
給与が支払われた。
通所日数が確保された。
報酬や加算の条件を満たした。
数字だけを見れば、うまくいっているように見える。
でも、その数字の奥にいる本人の生活はどうか。
働き方は広がっているのか。
地域での関係は増えているのか。
本人が次に進む選択肢はあるのか。
支援者や企業は、その人を一人の働き手として見ているのか。
ここを見なければ、制度はすぐに「形」だけを整える方向へ流れていきます。
福祉や就労支援の現場では知っています。
本当に大事なものほど、数字には出てきません。
本人がしんどいと言える関係。
体調を崩した時に働き方を変えられる余地。
企業側がその人を知ろうとする姿勢。
職場の中で役割が育っていく時間。
失敗しても戻れる場所。
次の選択肢を一緒に考えてくれる人。
そういうものは、雇用率の数字には出てきません。
でも、そこにこそ障害者雇用の質があります。
問題は「外で働くこと」そのものではない
誤解のないように書いておきます。
私は、企業の外で働くこと自体を否定しているわけではありません。
サテライトオフィスが合う人もいます。
農作業が合う人もいます。
静かな場所で働く方が力を発揮できる人もいます。
本社の騒がしい環境よりも、外部の安定した環境の方が働きやすい人もいます。
障害のある人にとって、「企業の中で働く」ことだけが正解ではありません。
問題は、外で働くことではありません。
問題は、外で働く仕組みが、企業の中を変えないための抜け道になっていないか?ということです。
外で働くとしても、企業との関係がある。
企業の仕事として位置づいている。
企業の人事制度やキャリア形成とつながっている。
本人が企業の一員として扱われている。
必要に応じて、企業内の仕事へ移る道もある。
企業側も、その人たちの存在を通じて、自社の働き方を見直している。
そうであれば、外部の就業場所にも意味があります。
しかし、企業は雇用率を満たし、本人は外部の場所で働き、企業本体の職場はほとんど変わらない。
この状態が続くなら、それは障害者雇用の外部化です。
障害のある人を社会の中に迎えるのではなく、社会の外側に整えた場所をつくり、そこに雇用率だけをつなぐ。
これでは、共生社会というより、よく整備された別室です。
では、どこに向かうべきなのか

農園型・外部委託型障害者雇用の問題は、単に「やめればよい」という話ではありません。
そこで働いている人がいる以上、いきなり否定したり、急に仕組みを壊したりすれば、本人の生活が不安定になります。
必要なのは、働いている人の生活を守りながら、障害者雇用の質を高めることです。
そのためには、少なくとも次の視点が必要だと思います。
ひとつは、企業の雇用責任を明確にすることです。
外部の場所で働いていても、雇用主は企業です。支援や業務設計を外部に任せきりにせず、本人との関係を持ち、働き方や将来について考える責任があります。
ふたつめは、企業内の雇用環境整備をあきらめないことです。
すべての人が企業内で働く必要はありません。けれど、企業が自社の中の仕事を見直す努力をしないまま、外部化だけで雇用率を満たす流れが広がれば、障害者雇用の理念は痩せていきます。
みっつめは、就業支援センターや就労支援機関の声を政策に反映することです。
現場の支援者は、雇用率の数字だけでは見えない課題を知っています。本人の定着、生活、家族、職場、体調、将来の選択肢。そのすべてを見ている現場の知恵を、制度設計にもっと反映すべきです。
そして、よっつめは、国が本気で企業内雇用の環境整備を進めることです。
障害者雇用を、企業努力と外部委託の市場に任せるだけでは足りません。
国が、企業の中で障害のある人が働ける環境をつくることを、もっと本気で支える必要があります。
「雇用率を満たす」から「働き方を変える」へ
障害者雇用は、雇用率を満たすためだけの制度ではありません。
本来は、企業の中にある働き方そのものを問い直す制度でもあったはずです。
長時間働ける人だけを標準にしない。
毎日同じ体調で来られる人だけを前提にしない。
速く、正確に、臨機応変に動ける人だけを「普通」としない。
仕事を分ける。
時間を分ける。
役割を分ける。
人に合わせて働き方を組み替える。
それは、障害のある人のためだけではありません。
子育て中の人にも、介護中の人にも、病気と付き合う人にも、年齢を重ねた人にも、過労で倒れそうな人にも関係します。
障害者雇用を本気で考えることは、企業の働き方全体を人間に戻していくことです。
ところが、雇用率だけを外部で満たす仕組みが広がると、この問いが企業の中に入っていきません。
企業の中の働き方は変わらない。
障害のある人は外部で働く。
数字だけが整う。
制度は満たした。
でも、社会は変わらなかった。
それは、あまりにももったいない。
まとめ:本人の生活を守ることと、仕組みを問うことは両立する
農園型・外部委託型の障害者雇用には、確かに肯定的な面があります。
そこで働いている人がいます。
給与を得て、生活を安定させている人がいます。
家族が安心している場合もあります。
本人がその仕事にやりがいを感じていることもあります。
その現実を否定してはいけません。
しかし、それでも問わなければならないことがあります。
企業の中の働き方は変わったのか。
本人は企業の一員として見られているのか。
その仕事は企業の事業活動とつながっているのか。
雇用率の数字だけが整っていないか。
障害者雇用の理念は、外部化の中で痩せていないか。
これは、働いている人への批判ではありません。
むしろ、働いている人の仕事と生活を軽く扱わないための問いです。
障害者雇用を、数字合わせで終わらせない。
働く人を、雇用率の一単位にしない。
企業の外側に整えられた場所だけでなく、企業の内側の働き方そのものを変えていく。
そこに向かわなければ、障害者雇用は本当の意味で社会を変える力にはなりません。
農園で野菜が育つことは、悪いことではありません。
でも、障害者雇用で本当に育てなければならないのは、野菜だけではないはずです。
企業の中に、共に働く土壌が育っているか。
本人の人生に、次の選択肢が育っているか。
地域の支援に、見守り続ける根が張っているか。
その問いを抜きにして、「雇用率は達成しました」と言われても、私はやはり立ち止まってしまいます。
きずなグループ問題から見えてきたのは、福祉や雇用が、数字や加算や制度の形だけで走り出した時の危うさでした。
農園型・外部委託型障害者雇用もまた、同じ問いを私たちに突きつけています。
本人の生活を守りながら、制度の形だけに満足しない。
企業を一方的に責めず、それでも企業の中の働き方を問う。
支援者の草の根の違和感を、ただの愚痴で終わらせず、社会に届く言葉にしていく。
この問題は、簡単に白黒をつけられません。
だからこそ、丁寧に書く必要があります。
働いている人の尊厳を守りながら、仕組みの歪みを見つめる必要があります。
そして次に考えたいのは、では本当に企業の中に障害のある人の働く場をつくるとは、どういうことなのかということです。
企業の外側に雇用を置くのではなく、企業の内側で仕事をつくる。
本人の特性に合わせて、働き方を組み替える。
企業の中に、障害のある人が働ける土壌を耕していく。
次の記事では、その方向について考えていきます。
参考資料
・千葉県障害者就業・生活支援センター連絡協議会「障害者雇用代行ビジネス(農園型ビジネスモデル)アンケート調査報告」 (千葉県障害者就業・生活支援センター連絡協議会)
・厚生労働省「いわゆる障害者雇用ビジネスに係る実態把握の取組」関連資料 (厚生労働省)
・厚生労働省「今後の障害者雇用促進制度の在り方に関する研究会」関連資料 (厚生労働省)
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